高校時代に作った曲


高校時代にギターを弾くようになり、そのうち発表のあてもなく、オリジナルの曲を作るようになった。詩を書いて、それにギターを弾きながらメロディーをつけ、コードをふっていた。できるとノートに記して50曲ぐらいは作っただろうか。そのノートも今はない。初期の二番目ぐらいに作った「冷めたラブソング」という気取った歌は、山本善行が覚えてくれて、私のいない集まりで歌ってくれたことがある、と聞いた。

ぼくのオリジナルの最初の歌手は、だから山本善行だ。歌を作って、ラジカセに自分で弾き語りして歌うのは楽しかった。一度だけ、朝日放送ヤングリクエスト」の一コーナー、キダタロー司会の「スタジオ貸します」という素人参加の歌のコーナーに、ギターを抱えて出演したことがあった。緊張で声が震えたことを覚えている。
作りためたうちの一曲は、こんな歌詞。高校三年のとき、私が歌を作っていると聞いたほかのクラスの女子で、ギターで歌っている娘から「おかざきくん、私に、一曲作ってくれる?」と言われ、女子が歌うことを初めて意識して作った歌だった。すぐにできたのに、なかなか言い出せなくて、そのうち彼女もぼくも卒業してしまった。その娘の名前も忘れた。タイトルは歌いだしをそのまま仮につけた。ところどころ、記憶が不明瞭なところもあるが、まあざっとこんな歌詞だ。じつは今でも歌うことができる

「海が見えるなら」

海が見えるならどんな町でも暮らしていいと思った
心が錆びつかぬ 人が人らしい そんなところへ
気がつけば砂浜へ スケッチブック抱えて
朽ちた船のある 少し淋しい絵を描く
海が見えるならどんな町でも暮らしていいと思った
吹き抜ける風とともにある私です

海が見えるならどんな町でも暮らしていいと思った
目の前をさえぎるものは何もない 広々とした場所へ
まるで生まれた時から ここに住んでいるような
すれ違うたびに挨拶を交わす人々たち
海が見えるならどんな町でも暮らしていいと思った
あなたといた頃には気づかなかった自分を知る

少し太りました 空気のせいでしょうか
そんなハガキをあなたに書けるまでになって
海が見えるならどんな町でも暮らしていいと思った
もうあなたの知らない 海の匂いのする私です