洲之内話と高円寺の夜

二月に入った。おだやかな日曜日。カザルスのチェロを聞きながら書く。

昨日は「毎日」の記者Jさんからメールあり。自伝『いのちを刻む』(編著がJさん)を上梓された鉛筆画の木下晋さんは、洲之内徹と深く関わりのあった画家。その木下さんから洲之内の話を聞く段取りをつけたので来ないか、とJさんに言われ、新宿へ。「ルノワール」で一時間強、NHKで放送された木下さんのドキュメンタリーの話、洲之内話を聞く。木下さんは、洲之内が倒れ、入院している間もずっとつきっきりで看病した。喉に詰まる血痰を、手を突っ込んで取ることまでした。たくさんいた恋人のことも全部知っているという。しかし、ここには書けないなあ。

洲之内がついに籍を抜かず、離れて暮らした夫人が東京の団地に住んでいて、木下さんは夫人と付き合いがあって訪れている。読書家の夫人の本棚にはいっぱい本があったが、洲之内の本はない。そんなものかと、こっそり本棚を見ると二重になっていて、その奥に洲之内の著作がずらり並んでいたという。「結局、洲之内さんのことを本当に理解していたのは、この奥さんなんだよね」と木下さん。いい話だ。

洲之内さんは二流、それを自分でもよく知っていた、と言いながら、深い敬愛が言葉の端々から感じられる。「本の雑誌」連載は、洲之内と東京の関わりを書く連載なので、木下さんの話は生かせないが、根本のところで、洲之内の実像(女性との修羅)を知ることができたのは大きい。ありがたかった。公表できない部分もどこかに書き留めておこう。

小田急線で帰宅する木下さんと別れ、同じ中央線族のJさん(本に名前が出ているから城島徹さん、と明かしてもいいか)と、まだちょっと喋りたくて高円寺「コクテイル」へ。かわいい女の子が手伝いで入っていた。同じ学年で一つ年上の城島さんと、杉山平一の話などする。なんだか、まだ話したりなくて、高円寺駅南口、路地裏の「ちんとんしゃん」へお連れする。隣りに、この店へ初めて来たという、30代カップルが座っていて、打ち解けてバカ話をする。なぜかこの夜はさえていて、バカに磨きがかかる。ちょうど江利チエミのレコードがかかっていて、城島さんが若い二人に「三人娘、と言えば?」と問題を出す。ぼくが「ぼくたちの頃の「三人娘」と言えば、小野小町清少納言」と言うと、男性の方が「それじゃあ1000年前じゃないですか」とちゃんと突っ込んでくる。服飾関係の仕事をしている、と言ったが、勘のいい若者だ。あとで城島さんが「あの二人、おかざきさんのこと知っている人だったんですか」と聞く。「いやあ、まったく初めて」と高円寺の夜は更ける。