中川フォーク・ジャンボリー終わる

昨夜、悲願のゲスト大塚まさじさんを迎えて、無事、第三十回「中川フォーク・ジャンボリーのフィナーレを迎える。第一回が2015年3月27日、中川五郎さん単独のライブで始まり、以後、毎回ゲストをお迎えしてのライブを隔月で開催してきた。ぼくの役目は裏方。トークの進行と、そのまま会場が開かれるライブ後の打ち上げのセッティング、食料の買い出しなど。最初はチラシのイラストも描いていたが、十松くんにおまかせすることになる。思い出は尽きず、惜しまれるのはトーク部分を録音するなりして、記録しておけばよかったなあ、ということ。貴重な話がたくさん聞けたのだった。2016年4月21日、第七回「高田渡の夜」は渡さんの兄上二人と、ベルウッドレーベルの三浦光紀さんがゲストで、この回のトークは五十嵐くんが「雲遊天下」に文字起こしして、掲載してくれた。

足掛け6年、30回をなんとか無事やりとおせたのは、まずなんといってもボスの中川五郎さんが、どんな条件下でもイヤな顔をせず、ニコニコとホストをつとめてくれたこと。それに席亭の十松弘樹さんのサポート(集客の努力と運営)、誰がゲストであろうと、真っ先に予約してご参加下さった常連の方々に助けられた。五郎さんとの付き合いがあるとはいえ、マイクなしの畳の部屋で30名キャパという条件で快く出演してくださったゲストの方々にも感謝だ。

30回を区切りに、幕を閉じることを提案したのはぼくで、昨年あたりから、打ち上げ後にお客さんを送り出し、打ち上げの片づけをする際、ひどく疲れを覚えるようになっていた。十松くんに何か言われても、まったく頭に入らない(真っ白)な状態に、これはちょっと危ないなあと、まあ、それが主な理由である。楽しいことばかりの日々であった。

しかし、中川五郎さん(まちがいなく日本フォーク界のレジェンド)と組み、親しく接することができて、憧れのミュージシャンの方々とトークし、生歌を聞けた。これはライター稼業だけでは味わえない、貴重な体験となった。トークの技術は、この「中川フォーク」でかなり鍛えられた。まちがいなく岡崎武志の財産となった。もう、あとはあんまり思い残すこともない。

大塚さんから新譜CD「ゾウさんのうた live at一会庵」をいただいて、それを聞きながら、これを書いている。今ちょうど八曲目の「月のまつり」。昨夜のライブでも歌われた。「月は満ちて昇り/星は輝き出す/人は集いながら/優しく生きる」と歌っている。大塚さんの誕生日は3月18日、ぼくは3月28日。ちょっと近い。そんなこともうれしい。