ロス・マクドナルド『地中の男』を読む。

「雨の日と月曜日は」の雨の月曜日。6時起き。空気はひんやりとしている。ひさしぶりにデューク・ジョーダン「フライト・トゥ・デンマーク」を聴く。これはよく聴いた。ジャズ喫茶でもよくかかっておりました。

午前中に「赤旗」連載「文学館へ行こう」8回目を。文学館がのきなみ休みなので、特別版としてコロナ禍と読書、について書く。イラストも。

昨日、ロス・マクドナルド『地中の男』を、これまた一日で読む。ううむ、やっぱりいいですよ。ロス・マクはハヤカワミステリ文庫で4,5冊もっていたが、前の処分の時、海外文学の文庫を8割方売ってしまった中にあった。しまったことをした。ポケミスの『地中の男』が新書の棚にあったため残されて見つかって、ほくほくと読む。これまた菊池光訳です。ロス・マク小笠原豊樹といい、訳者に恵まれております。例によって、複雑な人間関係を「登場人物」一覧に自分で手を加え、つねに参照して読む。ロニイという6歳の男の子が出てきて、これがなんともかわいらしい。離婚寸前の両親がいて、ブロンドの娘を乗せた父親の車で、このロニイが母親のもとから連れ去られる。これが事件の発端で、タイトル通り、父親が「地中の男」つまり死体で発見される。

死者が落とした葉巻が、やがて市の半分を業火のごとく焼き尽くす山火事に発展。この拡大する大火事が、緊張感をもたらし、つねに経過報告される。これがドラマを彩り、重いリズムを刻む。ちょっとしたよみものだ。

「火は山腹を横に移動しているように見える。遠くからは砲火のように見えた焔が、密生したやぶを、騎兵隊のように、激しい勢いで押し通っている」

「火と戦っている人間の黒いシルエットが、いかにも小さく、無力に見えた。左手の方で、火が尾根を越え、煙霧を上げて乾燥したやぶをなめつくす酸のように、流れ落ちている。風に吹かれた煙が火に先行して、市の上空から海の方へ広がっていた」

「私は郵便局のところで、振り返った。火の粉が谷を吹き下りて、逃げ去った鳥にとってかわる珍しい赤い鳥のように、家の裏の木立ちにとびこんでいた」

火が意志をもった生き物のように描写されるのだ。読みながら、「もっと焼け、もっと焼け」と快感になってくる。美しいとも思う。父親の死後、6歳のロニイを連れまわす若い男女。運命を甘受するようにおとなしく従うロニイ。若い男女は無分別な怒れる若者の代表だが、「大人はわかってくれない」と自分に正直に行動する点で、秘密を抱え自己保身で右往左往する愚かな大人たちより、ある意味、純粋である。

何でもないシーンが強く印象に残るのもロス・マクの作風か。破滅の傾斜をなすすべもなく滑り落ちて行く愚かな大人の一人、モーテル経営者のレスター・クランドルとリュウ・アーチャーが対面。若い男女のうち、手に負えないブロンド娘の父親だ。

「握手は力強く、私は、彼の手が大きく、形が崩れているのに気がついた。労働の古い跡を残している。関節がふくれあがり、肌がざらついていた。彼は、娘が一跳びで放棄した小さな丘の上に達するまで、一生を働き通してきたのであろう」

愚かでも許してやりたいと思うのだ。