いまの古本屋さんたちは大変ですよ。

昨日、昼は父カレーの残り。煮詰まってうまくなる。「サンデー」の原稿を上げてるとむずむずしてきて、自転車で国分寺「七七舎」へ。これがいい息抜きになる。途中、庄司紗矢香さんが卒業された国分寺一中を拝む。グランドのフェンスに、成長した木が食い込んで異相を放っている。

「七七舎」では、均一で3冊。店内で1冊。1986年1月初版の、石川淳『天門』(集英社)を100円で買ったのは、もちろん読もうと思ってであるが、後ろ見返しに、前の所有者による鉛筆の書き込みがあったから。古本屋流通史の貴重な証言なり。「昭和61年12月19日(金) 於川崎近代書房」とある。本が出て約一年後に、古本屋へ下りてきたのを買ったことになる。当時の古書価が、これも鉛筆で記してあって1400円。定価は1800円だから2割引き強。いまの古書流通の経済学で言うと、高い。一年たつと、だいたい半額、下手すると500円ぐらいになる。まあ、ものによりますが。小説だとそう。だが、繰り返し書いているが、私の古本遍歴で言うと、1980年代あたりまではこんなものだった。つまり、新刊が1年ぐらいで古本屋に落ちて、引かれるのは2割、ないし2割5分ぐらい。それでも、少しでも安くと思って納得して買っていた。半額に落ちる本というのはよほどのこと(カバーなし、書き込みあり)だった。蔵書印や記名(今なら不良品でがくっと値下がりする)があったって、極端にそのために値が下がることはなかった。このこと、団菊じじいとして何度も書いておきたい。石川淳『天門』函入り帯ナシ初版が100円だもの。いや、いまの古本屋さんたちは大変ですよ。