融紅鸞を知っているかい?

春の風が吹いている。

融紅鸞と書いて「とおる・こうらん」と読む。ごぞんじであろうか。1960年代か、

ラジオ関西「悩みの相談室」回答者として、夫とのごたごたをじめじめ話す相談者に、きっぱり「そら、あんさん別れなはれ」と言い放って人気者となった。ぼくなど、元の放送は知らないのに、このフレーズがあまりに有名であるため、よく覚えている。ぼくぐらいの歳の関西人なら、だれでも知っていると思うな。

知識の宝庫、司馬遼太郎司馬遼太郎が考えたこと 3』新潮文庫を読んでいると、1ページの短文にこの名前が出てきた。「うわ、おった、おった!」と寝ていたソファから起き上がった。「モダン・ガールの草分け」で、「いわゆる断髪にして、柄の長いパラソルをさして、若い画学生たちをひきつれて歩いた姿はどうみても時代の旗手だった」という。そうか、画家だったのか。本業については知らなかった。

ちょっと調べてみたが融は1906~82年。中国の人かと思っていたが、れっきとした日本人で旧姓が新田美代子。大阪美術学校を卒業し、いきなり絵が日展に入選。不思議な姓は、祖父の家を継いだ時、融姓も継いだ。夫の胡桃沢源人は関西洋画界のリーダー的存在。『極楽女房』『とおる・こうらんのことわざ人生案内』『体当たり人生案内』『愛をみつめて』と4冊の著作を持つ。気長に古書展などで探してみて、安かったらどれか一冊買おう。気になる人物が一人増えた。