鎌倉街道がそもそもの始まりだったが

秋晴れの一日、午後自転車で玉川上水にかかる「鎌倉橋」を起点に、鎌倉街道跡をたどって北上していく。「鎌倉街道」の表示や解説板を見つける。東村山から八国山をまわりこんで川沿いの道をくねくね走る。風がわたって気持ちがいい、のはここまでで久米、荒幡とアップダウンの道を行き、山口城址通りの峠(降りて押す)を越え、西武遊園地前から多摩湖自転車道へ入る。これが失敗だった。限りなく緩やかなアップダウンを繰り返し、途中、リタイアして外へ出る道もなく、えんえん湖の外周を果てしなく走る。最初の3分の1ぐらいで後悔したが、じつは10分の1も行っていなかったとあとでわかる。

けっきょく、4時間ぐらい自転車を漕ぎっぱなしで太ももの腱が切れそうになる。20キロは走ったか。もっとか。分相応、というものを知らねばならない。この4カ月、禁じていた間食、カレーパンとソフトクリームを食べてしまう。自分はどこへ行こうとしているのだろうと、途中、放心してしまう秋の一日だった。

堀井憲一郎『落語論』を読む。落語と言う話芸の、これまで語られなかった本質を追求しようとしている姿勢は買うが、いやに理屈っぽく、ついていくのが面倒くさくなる。

付記 最後まで読み通して、前言をひるがえす。いや、これはじつによく考えぬかれ、それをちゃんと言語化した、ひじょうに珍しい落語論であることがわかった。いくつもの提言がなされ、それが画期的。客の役割、位置などもつっこんで語られ、なるほどと思う。春風亭小朝(異常に現在、評価が低い)への言及など、かねがね疑問に思っていたことなので、言ってくれてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いの舗装された道をくねくねと