神楽坂の夜、富田木歩のこと。

カルロストシキとオメガトライブが、みな80代となり、40年ぶりとかでテレビの歌番組で顔を合わせる。断っておきますが、夢の話で時制などめちゃくちゃ。楽器を持たず、アカペラで「君は1000パーセント」を唄うが、メンバーの一人が声が出ず、首をかしげながらそれでも唄う。しかし、みんなうれしそうだ。いい光景だなあ、音楽を一緒にやっていた仲間だなあ、と思ったところで目が覚める。

昨日は夕方から、坂崎重盛さんと神楽坂で飲む。2年以上ぶりか。いろんな集まりで、ぼくが一番年上というケースが増えて、年上の尊敬する先輩に甘えるように2軒をはしご。「鶴肴(つるこう)」と「トキオカ」。どちらもいい店で出版関係者が常連のようだ。坂崎さんは「顔」である。もう1軒行くという坂崎さんと別れ帰途に。「トキオカ」のご主人と一緒に働いている人両名が、ぼくのことを知っているというので驚く。坂崎さんに手渡した『ドク・ホリディが暗誦するハムレット』を、「じゃあ、ここに置いておきます」と坂崎さんが言ってくれる。

行きの車中、坂崎さんとならそんな話になるだろうという予習で、「銀花」1993年の「東京の散歩道」特集号を読んでいたら、辻征夫が「枕橋を通って」という文章で、富田木歩(もっぽ)という俳人について書いている。2歳で歩行不能となり、学校も行かず、「いろはかるた」で文字を覚え、「ホトトギス」に投稿する。大正の関東大震災の日に逃げ遅れ亡くなる(1897~1922)。三囲神社に「夢に見れば死もなつかしや冬木風」の句碑あり。へえ、と思い、同じカバンに入れていた小沢信男『俳句世がたり』岩波新書をめくると、ちゃんと木歩が登場する。こんなこともあるのだ。一挙に、いろいろなことがわかる。

震災の日、親友で死後も木歩の顕彰につとめた新井声風が急いで木歩のもとに駆け付け、足なえの友をかついで火の中を逃げるが、木歩が声風の背を押してとどまり、声風は川に飛び込み生き残る。これは小沢さんの本で知った。坂崎さんにその話をすると、さすが「木歩」についてちゃんと知っていて、いろいろ補足してくれた。