「石神井ふるさと文化館」庄野家長女の今村夏子さん講演

今日、ふたたび石神井ふるさと文化館へ。長女・今村夏子さん(同姓同名の作家がいる)の講演がある、それを聞きに。庄野潤三関連で、ある原稿を書くことになり、担当となった金丸姐さんと荻窪からバス。着いたら、長男龍也さんはじめ、庄野家の人々、夏葉社の島田君、庄野潤三研究者の上坪くんなど、知り合いが集まっていた。金丸姐さんを龍也さん、あとで夏子さんに引き合わせる。

龍也さんを隊長とする探検隊トリオの「わめぞ」ガールズも来ていた。夏子さんの話は非常によかった。知らないこともありメモする。石神井時代、庄野さんが書けなくなってもがき苦しんでいた。パーティーで会った佐藤春夫に苦境を打ち明けると「まず一として書いてみるんだね」というアドバイスで、閉じた氷が割れ、水が流れ出す。それが「静物」となり新潮文学賞を受賞する。庄野さんの苦闘を脇で見て一緒に苦しんでいた千寿子夫人が、受賞の報を聞いて、わっと泣き出した。子どもの夏子さんは脇でそれを見て、よく覚えていた。そのことを話す夏子さんの声も震え、よく知るエピソードだったが、生で聞いてやっぱりぼくも泣いた。佐藤春夫、すごい。

庄野家のためにぼくが作った「夕べの雲」という歌の2番に「笑いあい励まし 慈しみあった それだけを誇りに わたしたち家族」という歌詞があるが、まさにそういう一家であった。石神井時代、朝日放送東京支社の給料が入ると、庄野さんが不二家のケーキを買って帰るのが習わし。給料日の夜、それを知っていて待ち焦がれて、夏子さん、龍也さんが家の外に出て待っている。すると向こうからお父さんの庄野さんが両腕を上に伸ばし、ケーキの箱を見せて、跳ねるように踊りながら近づいてきたという。まるで庄野作品みたいだ。龍也さんが壇上で「コヨーテの歌」を歌うおまけつき。そういう歌だったのか。『夕べの雲』読者ならおなじみ。

会場で、ぼくの読者という二人連れから声をかけられる。東京堂でサイン本をいつも買ってくれている由。ありがたい。少ない読者を大事にだいじにしたい。ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ、一日一冊再々読が続いている。今日は『ポットショットの銃弾』。映画「荒野の七人」をなぞったようなプロットでやや荒っぽい。

送った「オカタケな日々」73と73のうち、一部、その前に送った原稿とネタが重なっていると指摘あり。ほんとだ。ついにボケが始まったか。あわててそっくり削除し、山本善行が書いた森園清隆のことについて、書く。すぐ送付。イラストも一部差し換え。大忙しであった。今日はいちにち、マイルス・デイビスを。