豪雨の東京を東へ、東へ。

連日のおでかけ。「上げ潮のゴミ」みたいに、引っかかったまま動かないぼくとしては異例のこと。24日は午後、三鷹。雨。金澤『フォークソングの東京』信幸さんと待ち合わせ。10分前について、指定の交番前脇の樹木の下のベンチで、バスで来るはずの金澤さんを待つ。しかし、来るバス、来るバスから下車する人にその姿はない。携帯の電話番号を知らない。律儀な人だから、バスが遅れて、というなら連絡があるはずだがない。日を間違えたか、と思い30分すぎたところで、あきらめて駅へ向かうとすると、交番の反対側に金澤さんがいた。「なあんだ、反対側で待ってたんですよ」となる。いい初老の男二人がまったくしようがないな。

茶店へ移動、まずは浅川マキ関連の雑誌記事、それにLPをちょうだいする。これは助かる。そのほか、ライター&編集者稼業の厳しい日々について語り合う。1時間ほどで別れ、あわてて高円寺、西部古書会館「中央線展」へ。この頃から雷がなり、豪雨に。

足元、ズボン裾を盛大に濡らしながら古書展で3冊。あわててまた車中の人に。夜、渋谷区富ヶ谷「白寿ホール」で青柳いづみこさん、高橋悠治さんピアノコンサートに招待をうけて出かける。代々木八幡駅を出たら、豪雨マックスで道路は川に。たっぷりピアノの音に包まれて、打ち上げにも参加。音楽畑の人ばかりで、宮廷にまぎれこんだ野良犬みたいな気分になるが、横に座ったサラリーマンの某氏に語り掛けると、ジャズファンを通り越してさまざまなミュージシャンと交流のある人で、しかも京阪沿線の会社に出向していたことあり、同じ駅を使い、同じお好み焼き屋でお好みを食べていたことがわかる。一挙、距離が縮まり、握手、握手。「浅川マキが」なんておっしゃるので、金澤さんからもらったばかりの浅川マキのLPを出したら、驚かれた。まあ、そうだろうな。ふつうはありえない。別れ際「これだけで終わる、お付き合いだとは思っていませんよ」と言われる。

日付が変わる前に、打ち上げの席を一足早く去り家路に。大変な二夜となった。