北烏山の町中華「楠知」はベストチョイスだった。

締め切りが急きょ一週間早まり、あわてて6日に取材してきた「池波正太郎記念文庫」の原稿が本日締め切りで、観念して書く。ただいま池波マイブームの最中だけに、思いと知識を要点だけ絞って書くのにひどく苦労する。1500字あれば、たいていのことが書けるはずなのだが。あれもこれも捨てて、必要なことだけを書く。うまくいったかどうか自信がない。「オカタケな日々」の97と98も仕上げて送付。土日遊んだ報いがきた。

8日(日)は散歩堂さんを誘って世田谷さんぽ。前から目をつけていた北烏山の寺町を歩く。12時に久我山スタート。散歩堂さんの地元だから、昼飯の食える店をまかせていたら、第一候補の洋食屋が休業、久我山病院近くの中華「熊」はまさかの長蛇の列。その先、「ヤマザキ」があるから、弁当でも買って玉川上水沿いの公園ででも食べるか、と歩いていたら、「ラーメン」と染め抜かれた赤い幟を発見。これが創業65年という町中華「楠知(なんち)」であった。「なんちゅうこっちゃ」。つげ義春の漫画みたいな外観。開けにくいドア、呼べど姿をなかなか現さない老店主。ワンオペ中のワンオペなり。椅子はレジ袋でガード、テーブルの上の灰皿はサバの空き缶としびれる展開に。ラーメン400円、タンメン550円、ギョーザ350円は、少なくともこの30年は値段据え置きであることが、破れかけた茶色化したメニュー表でわかる。シェアした餃子もタンメンも美味かった。洋食屋が休んでいて、前の中華が行列であきらめたおかげで、私小説を思わせる理想的な店に、結果ぶち当たった。心の中でずっと「いいぞ、いいぞ」と叫んでいた。短編が一つ書けそう。

このあと住宅街を縫って櫛比する寺、寺、寺を巡る。まるで谷中みたい。大伽藍の本堂に竹林、泣きかわす鳥の声とちょっとした穴場ではないか。どの寺も非常に立派だが、関東大震災の後、浅草など東側から固めて移転してきたようだ。永願寺では円生の、妙寿寺では大原麗子の墓にも詣でる。帰りバス2台を五日市街道営業所で奇跡的にうまく乗り継いで高円寺へ。閉館まぎわの好書会を覗く。古ツアさんと遭遇。打ち上げは西荻「粉や時次郎」でお好み焼き。ベストチョイスのコースの一日となった。