「忠実屋」がぼくの友人だった。

週明けまで4つ締め切りをこなす。今日は「古通」と「高校教育」連載を書いて送付。ちょっと落ち着く。明日から西部で均一祭。200円、100円、50円と日を追って下がっていく。「学割」が設けられ、さらにその半額。「学生証」が欲しい。どのタイミングで行くか、だ。

日本映画専門チャンネル伊丹十三特集をやっていて、何本か見直す。「スーパーの女」で、前にも言及したが、副店長になった宮本信子のもと、総菜売り場がバイキング弁当を発案。弁当箱に好きなだけ詰めて680円、というと宮本が「安い!」。1996年の公開作だが、これ「安い!」か? 西友が298円弁当を売り出した今、とても高く感じる。1996年から2022年あたりまで、物価上昇率は低く、それでも1・2倍ぐらいかと。すると680円は現在の800円ぐらいの換算になる。

スーパーの女」を見て「忠実屋」を思い出す。上京して住んだ戸田市のアパートのすぐ近くにあったスーパーで、現在は「ベルクス」と改名。久しぶりに地図検索して、自分が住んでいたアパートが「金子ハイツ」だったと思い出す。現在もある。軽量鉄骨で、二階の音がよく下に響いて悩ましかった。住宅情報で調べると1988年の築だから、ぼくが住んだ1990年春はまだ新築だった。今回、間取りも分かった。「忠実屋」で食、インテリア、電化製品、衣料などすべてをまかなっていた。友人も知人もない東京(じつは埼玉)で、しばらく「忠実屋」が慰安で、ぼくの友人であった。

『ここが私の東京』の岡崎武志上京編で、このアパートの家賃を8万ぐらいだったか、なんて書いたけど、どうもそんなにはしないのじゃないかという気がしてきた。久しぶりに思い出の地再訪をしたい。