おおさか東線はそうだったのか。

旅先でよく眠れぬため、帰宅して爆睡。歯の根ががくがくする。数日、おとなしくしていよう。昔なら、せっかく大阪で一日余裕があるから、どこそこへと計画したところだが、もう早く家へ帰りたいという思いが、この年になると募る。暑いせいもある。

大阪で最後に乗った「おおさか東線」のこと、気になる。放出(はなてん、と読む)から鴫野まで片町線、もとい学研都市線、鴫野から北上し次が「野江」。京阪線に「野江」あり。次が「城北公園通」。蕪村生誕地うんぬんと書かれてある。枚方へ引っ越すまで住んだのが川をはさんで西側、長柄の城北公園通り沿いの団地であった。

新淀川を渡って「淡路」とくれば阪急。次が「南吹田」と、意表をつく動きに頭がくらくらしてくる。ぼくの知る鉄道路線図にない。よくぞ、ここまで建物が密で身動き取れない地に新線を敷いたものだと、不審に思って2003年の大阪ガイドの地図を見て判明。これはかつての貨物線であった。鉄道貨物の需要が減り、新大阪駅への乗り入れとして計画されたものらしい。まちがっていたらごめんなさい。そういうことだったか。城北公園通なら、もう新大阪駅はすぐ(3キロぐらい)なのに、わざわざ迂回するのも変だと思っていた。

新大阪駅で立ち食いソバを食べたが(汁が甘い)、とうとうお好み焼きは食べず。天神橋筋商店街にあれほど数があったのに。悔やまれる。

いろいろ賢くなるなあ。