王滝村の学生村のこと

一日二回はシャワーを浴び、指のまたまでごしごし洗い、これが私の酷暑をのりきるリフレッシュ法。

渇水」「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」「ライダーズ・オブ・ジャスティス」と、締め切りの関門をくぐりぬけ、録画した映画を次々と視聴。どれも面白い。

「ライダーズ」はマッツ・ミケルセン(ぼくは007「カジノロワイヤル」で知る)主演だが、「え、これが?」と驚くほど風貌を変えている。片腕の数学者オットーは、どこかで見た俳優だと思ったが、そうか「特捜部Q」のカールだ。

冒頭、ギャングのボスがジョークを言うが、部下にまったく通じなくて腹を立てるシーンがおかしい。陰惨な復讐劇だが、登場するのがまぬけぞろいというのでギャグ満載のコメディであり、親子のハート・ウォーミングな劇でもある。そのジョーク。記憶で書くが、医者が患者に「あなたの睾丸は珍しい。片方が木で片方が金属でできている」というと、患者が「そうですか、じつは子どもがピノキオとターミネーターなんです」と答える。

善行堂にに電話。律子さんに善行入院のあれこれを聞く。命に別状はない。15周年でいろいろいそがしかったから、休養と割り切ったほうがいい。落語を聞いているらしい。

20歳の時だったか、大学院受験のため、善行が木曽郡大滝村の学生村へ一ヶ月ほど行っていた。誘われてぼくも3日ほど、遊びに行った。一人一つ部屋を与えられた。高校の友人がほかに、別の宿舎(ふだんは農家)に泊まっていた。「ええなあ、おれんとこなんか、雑魚寝やぞ」と言っていた。夕方、蝉しぐれの下を散歩したり、いい思い出だった。標高は900メートルぐらいで涼しい。小淵沢も涼しかった。南木曾からバスに乗った記憶があったが、調べたら木曽福島からバスが通じている。同じバスに学生らしき若者が同乗し、バスは僕と彼の二人だったが、同じ停留所で降り、同じ宿舎だった。善行は長くいたから、もっといろんなことを覚えているはず。

木曽郡大滝村」「学生村」で検索したが情報は得られず。40年以上前の話だ。現在、過疎対策のプロジェクトが進んでいる由。

よく仕事をもらう「しんぶん赤旗」7月21日付書評欄に、坪内祐三『日記から』(本の雑誌社)の書評が掲載される。

 

小淵沢からサントリー白州蒸留所へ。

24日、「パーフェクトデイズ」視聴とロケ地巡りで結成した中高年トリオ(MMO)で、本日、ぼくが買った「青春18」きっぷをシェアして小淵沢へ。ここからシャトルバスで「サントリー白州蒸留所」を訪れる。小淵沢は涼しく25℃くらいではないか。

「蒸留所」はあちこちから観光客が訪れにぎわう。博物館やグッズの買える館で1時間ほどを過ごす。これは行ってよかったのだ。バスふくめ、いずれも無料。1100円で「白州」3種の試飲もしたが、これはとんでもないうまさだった。

小雨の止んだ蒸留所は森の中に作られ、鳥の鳴き声す。ひぐらしの声もかなかなと。甲斐駒の稜線が青く横たわる。自家用車で来る人も多いが、これは試飲ができぬのなり。小淵沢へ戻り、2時台の電車で早くも帰途に。途中「四方津」下車。山上に広がる住宅地を結ぶ超長大のエスカレーターに乗る。ほかに利用者なし。片道6分。下を見ると恐ろしい。もちろんこれも無料だ。

住宅地を眺め、駅前のスーパーでパンとジュースを買って、30分の滞在でまた駅に戻る。片道3時間の電車旅を終える。「青春18」の残る2回は自分で使う。善行堂の緊急入院の報「X」で知る。コメントすることは煩わせることになると思い自重する。ぶじ帰還したら、あれこれ聞くことにしよう。7月上旬に逢った時はまったく元気だったのだ。手術がどうこうということではなく、その点は楽観視している。まったくこの歳になると何があるかわからない。そのことはたしかで、他人事ではない。

ちなみに私の糖尿病との付き合いは30年を超え、毎食前のインシュリン投与と4種の薬を飲んでいる。一番怖いのは腎臓の合併症で、人工透析が必要になる。これは大変なことは身内がそうで知っている。2度検査入院をし、末路が悲惨なことは分かっている。しかし、甘いものがけっこう好きで、担当医に検査のたびに叱られている。某誌で何度か仕事をしたKというフリーの編集者が「糖」生産者で、しかし一度も検査したこともなく放置しているという。15年は前の話だが、いまどうしているか。

甲府から小淵沢行きに乗り換えた時、車中、ドア付近で倒れた女子高生を、乗り合わせたおばさんたちが手際よく、座席を空け、介抱するのを目撃する。時代劇に出てくる山伏みたいな異相の大男が優しく、濡れティッシュなどを提供していた。こういうとき、男性はまったく役立たずで、乗り合わせたおばさん軍団の連携に感心する。女子高生は熱中症ならん。下手すると危なかった。「MMO」の「M」くんが「岡崎さんといると、いろんなことが起きますねえ」と言う。「パ」ロケ地巡りでの財布紛失と回収事件のときもこのトリオだった。たしかに。

甲府は酷暑だが、小淵沢は涼しいというのは一つの発見であった。駅ビル内の立ち食いそばの名店「丸政」でもちゃんと食べた。3回目ぐらいか。「M」と「M」は初めて。

北大路「小兵衛」と貫地谷「おはる」がいい。

サーモスの水筒に、冷蔵庫で作ったルイボスティーに氷をがばがば入れて飲む。一日3回ぐらい空にするか。塩分補給に永谷園しじみ味噌汁を。ときどき温かいものを体に入れると胃にしみるわあ。

日月と仕事。「ふくらむ読書」はスタインベック怒りの葡萄』とルート66の前篇。「望星」は常盤新平老年エッセイと市役所食堂めぐりの話を。これでしばらく締め切りから離れる。「青春18きっぷ」を購入。あれこれ画策。

池波正太郎剣客商売」番外編『ないしょないしょ』を読了。同シリーズをほぼ読みつくす。ちょっと措いて、また1から読み直してもいい。高齢者になって、いい楽しみを見つけた。同作ドラマ化は、73年に加藤剛山形勲編があったことを「時代劇専門チャンネル」で知る。1回見たけど、違和感あり。超美女の女剣士・三冬が音無美紀子というのもちょっとなあ。味噌汁の匂いがする。

藤田まこと編がドラマの印象をつけた。いま、北大路欣也斎藤工編を放送中。意外にこれがいい。小兵衛の孫娘のような若嫁に貫地谷しほりだが、これがうまい。藤田まこと編では「おしん」の子役だった女優だが、どうもよくない。3パターンを交互に貼り付けたような演技で、子役の時代のほうが上手かった。貫地谷しほりは演技の引き出し多く、段違いのうまさだ。北大路小兵衛も適度に色っぽく、ユーモアがあり、藤田小兵衛とは違った像を作っている。三冬は杏。あと10年ぐらいしたら、キムタクがやるかも。

『夕べの雲』映画化を望む

戸田学さんから送ってもらった『随筆 上方芸能ノート』(青土社)は、追悼文ふくめ、戸田さんが唯一無二の上方芸能の記録、証言者として各紙誌に書いてきた文章を集める。船場ことば、と一口に言うが北と南では微妙に違った、などという指摘は初耳だ。ぼくが「ARE」で書いていた上方芸能の話を、ライフワークとせず中断したのは、戸田学さんというスペシャリストがいたからだ。ぼくなど、書くことはない、と思っていた。ところが、前掲書の「あとがき」で、上方芸能に関する文章はこれで「キリ」にしたいと書いてあって衝撃を受ける。昨年か一昨年かに、戸田さんが上京した際、喫茶店で一時間半ほど語り合った(有益であった)際、上方という狭いエリアで仕事をするむずかしさについては聞いていたが、やっぱりそうなのか。いっそ、東京に来られるといい。岩波書店はじめ、東京の出版社ともつながりがあるし、もっと自由に芸能のこと書いてほしいし、書くべきかと老婆心ながら進言しておく。きちんとした笑芸の記録は東京でも手薄ですよ。

ここのところ、浜村淳かしまし娘について書いたのは、そういうことがあったからである。ぼくで書けることは、たいしたことではなくても書き残しておこうと思ったのである。京都へ行ったとき、山本善行からもそう言われたというのもある。

土日とさぼったため、月、火、水と締め切りが押し寄せて3日で5本書くことに。16日の3本がもっともきつかった。レギュラー以外に、毎日新聞から「なつかしい本」の原稿依頼があり、迷わず『夕べの雲』について書く。いったい、この本について、何度書いてきただろうか。誰か若手の監督で、変にドラマチックにせず、新鮮な視点で映画化してくれないだろうか。野山をかけまわる男の子たち、利発で子供たちのリーダーとなる姉、それを見つめる両親、青空、樹々をわたる風、花々と思うだけでもう目がうるむ。

かしまし娘は日本のビートルズか

正司照枝がなくなった。今年1月に長女・歌江が逝き、半年で「かしまし娘」トリオの2人が消えたことになる。残された花江の悲しみいくばかりか。「かしまし娘」の舞台映像をユーチューブで2本視聴したが、あらためてあっぱれな芸人だったと思う。

旅回りの一座に生れ、芸人になることを宿命づけられた三人(もう一人、女きょうだいがいる)だった。紆余曲折を経て姉妹で音曲漫才を始めるのだが、当初は歌江と照枝の2人。歌江はキャバレーのホステス時代があり、キダタロー追悼の「探偵ナイトスクープ」で、キダが大阪のキャバレーの若き楽団員だった頃、憧れたホステスがつまり歌江だったという。

1956年「かしまし娘」を三人で結成(当初「カシマシ娘」)。センターに和服で三味線の歌江、両脇に洋服ギターの照枝、花江という変則的スタイルを自分たちで完成させる。のちフラワーショウ、ちゃっきり娘があからさまに模倣踏襲する。ビートルズの出現にも似る画期的アンサンブルだった。いま見ると、2人のギターはギブソンのピックアップギターで、舞台に立つ芸人は最高のものを使うという矜持の現れだった。質屋流れのギターで「ボインは~」とやった月亭可朝と比較せよ。

かしまし娘」が新しかったのは、テーマソング(うちら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが、女三人寄ったら姦しいとは愉快だね、ベリーグッグッ(ド)、ベリーグッグッ(ド)は名曲)をきれいにハモっていること。これは快感だった。パッと舞台が明るく華やかになった。三味線を使う舞台で、このような洋楽体質が持ち込まれたのは「かしまし」のすごさ。照枝のコメディエンヌの素質がきわだち、バタバタと動き、「ちょっとええかげんにしなさい」と姉の歌江に突っ込まれる。かつらをわざとずらして直す、のは今回初めて気づいた。とにかく一瞬の遅滞もなく流れる舞台は、愉しい。ベリーグッグッ(ド)だ。

関西にいれば、テレビで追悼番組が組まれるだろうになと、悔しい思いだ。