廃線なった砂利運搬鉄道「安比奈線」跡探索

西武線について書いた本(辻良樹『西武鉄道洋泉社)を図書館で借りたら、面白くておもしろくて、西武線に乗りたくなる。西武新宿線本川越の一つ手前「南大塚」に、かつて入間川から砂利を運ぶ「安比奈線」があり廃線となったが、痕跡が残っていると知り、川越市「南大塚」散歩。なるほど、ところどころ線路が残っている。いちいち写真に撮る。

しかし移動にロスが多く、あるはずの「池辺公園」では痕跡を見つけられず。1万3000歩歩いて、最後ゴール近くで足がつる。あちこちで通りがかりの人にリサーチして、ふらふら歩いて、最後道路にへたりこんだ。情けない。途中の道すがら、歩く人は少なく、この日、南大塚で何か事件があったら、不審者の目撃情報として第一にぼくが挙げられるだろう。

帰りはバスに乗るつもりが、持参した地図(2002年版)では記載されたバス停に、もうバス停がない。廃止されたようだ。そのため想定外の歩きとなった。

吉田健一『瓦礫の中で』読了。敗戦の焼け跡、防空壕に住むもと中学の英語教師夫婦が、家を建てるまでの話、と要約しても、この作品のなにものも伝えたことにならないのは、吉田健一の読者ならよく分るだろう。催眠術にかかったような読後感。大人のメルヘンでもある。

ドラマに刻まれた廃線「屋代線 綿内駅」

昨日、秋の晴天、暖かい一日。夕方、西荻「粉屋時次郎」で、w夫妻主催による、西荻会があり、それにあわせ動く。まず高円寺西部会館即売会へ。数冊買う。ここで散歩堂さんと待ち合わせ、ともに西荻移動。ちょっと早く着いて、お茶でも。「それならどんぐり舎でも行きますか」と誘われ北上。その手前角に昔からある喫茶店が、ある時「村田商会」と名を改め、若い夫妻が引き継いで営業を続けていた。ここへ入りませんか、と入る。一杯、いっぱい丁寧に入れたコーヒー。女子っぽい雰囲気の店だが(廃業した喫茶店の備品を販売している)落ち着くなあ。

夕方から鉄板を囲み、7名の「お好み」宴会。久々に人々と憩う。w夫妻に感謝である。帰宅して早寝して夜中目覚める。録画しておいたプレミアムカフェで、池端俊作脚本「約束の旅」は1987年の作。呉の海上保安庁に勤める役人の一家の話。弟の突然の家出で、危うい均衡を保っていた一家が裸形にさらされ混乱する。一家で大阪にいるという子どもを探しに出かけ……。

最後、子どもは長野にいると分かり、また移動。最後、子どもを保護して長野を去る、その寂れた木造駅舎が映り、「わたうち」と平かなの駅名表示がホーム柱に。「わたうち」ってどこだろう。これは廃線になった長野電鉄屋代線」(屋代~須坂)の一駅「綿内」と知る。ずいぶん昔家族旅行で長野へ行った時、この屋代線に乗り「松代」で降りている。池田満寿夫美術館があって訪ねたが、ほかに来館者はなく、その後閉館。行っておいてよかった。長野電鉄には、これも廃線になった「河東線」(信州中野~木島)という線もあったと知る。間違っていたらごめんなさい。私が愛用する『でっか字まっぷ 長野・松本』は2003年刊の版で、まだ屋代線「綿内」が掲載されていた。古い地図は役に立つ。

池端は呉の出身。大学で政治史を学ぶが芝居に入れ込み、卒論をかけそうにない。すると担当教官が「きみからちゃんとした卒論を受け取ろうとは思っていない。これからは『個と国家』を主題に仕事をしてほしい」という意味のことを言った(正確にはあらず)。えらい先生がいたものだ。池端はそれを心がけて脚本の道へ。「ある時代を描くのに、家族(小さな単位)を扱うのがいい」と考える。これも「個と国家」のひな型であった。

国分寺から武蔵小金井放浪

今日23日が雨、と分かっていたので、貴重な晴れ間の昨日、昼前から外出。自転車でまず国分寺「七七舎」へ。4冊買う。ひさびさに「フジランチ」で昼食。12時前に入ったのでなんとか座れる。Āランチ730円。「ジョルジュ・サンク」でコーヒー500円。タバコ3本吸う。いま喫煙するのはこの店だけ。

このあと武蔵小金井までえっちらおっちら移動。移転なった「中央書房」を訪ねる。もと飲食だったような小奇麗な店舗。祝移転、ということで店内で3冊買う。浅川マキ資料として四方田犬彦『1968「文化」』筑摩、田家秀樹『70年代ノート』毎日など。そのまま「はてな」へ寄ろうと新小金井街道を北上。途中、貫井北町3交差点で空き店舗のガラスに「みすみ書房 11月開店」の張り紙を発見。古本屋がオープンする。興奮して古ツアさんに電話でご注進。「親分、大変ですぜ」「何があったい、八」という感じ。「はてな」も久々。店主と言葉を交わし一冊購入。「いすみ」は「高円寺の古本屋さんから独立して始めるようです」と言うので、「サンカクヤマかなあ」と言うと、「そうです」と驚いていた。変な客だものなあ。

このこと、地図入りで「オカタケな日々」にくわしく書きます。乞うご期待。

植田実『真夜中の家』と鯨井勇「プーライエ」と東孝光「塔の家」

ベッド脇に小さな本棚を置くため、周りの堆積物を片付ける。下になった本や雑誌はゆがんでいる。ゆがんだ本は元通りにならない。植田実『真夜中の家』が掘り出されて、これは頑丈なので、多少のゆがみや傷はあるが読める。そして読む。これは児童文学や建築について書かれた名著なのである。みすず書房から再刊されている。元本は住まいの図書館出版局で、このシリーズ、ハンディで非常に好ましい。何度か読んでいるつもりだったが、今回「あとがき」に「最後の仕上げにかかってくれたのが豊崎由美さん」とあって、あの豊崎由美さんだろうか。

パラパラ読んでいて「分譲地のなかの田園 鯨井勇」で、あっと思う。1970年代、セルフビルドで建てられた鯨井の個人住宅について、訪問記が書かれているのだが、場所は特定されていないがどうも「西武園」駅近くで、背部に墓地とあるので、あのあたりかと想像がつく。住所では東村山市。これは現在増築補修を重ね現存。「プーライエ」と名付けられ、建築関係者が見学に招かれている。ネットに外観がアップされているので、発見の自信はある。ただしこのあたり丘陵地なので、うまくルート選択しないと、長い坂の上り下りに汗することになる。昨日はそれで苦労した。

じつは昨日、この近くを自転車で走っていたのだ。日にちが逆だったら、たぶん捜索していただろう。また機会を見て、出かけよう。同じ文章に出てくる東孝光「塔の家」も有名。打ち放しコンクリートと極小住宅という東の思想の初期体現建築物件で、これも現存している。

四六時中、浅川マキ

次号「本の雑誌」から、連載「憧れの住む東京へ」が新しい章に入り、浅川マキの上京と東京を取り上げると決めている。そうなると、四六時中浅川マキのことを考えることになる。この「四六時中」考えることが大切だ。そうすることで、遠い存在が近づいて、何かが見えてくる。浅川マキが上京後、どの町に住んだかが今のところ不明。一度「大宅文庫」で昔の記事をチェックしようと思っている。

浅川マキ研究の定番『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』白夜書房を「ささま書店」で1980円で買っている。よくぞ買っておいたものだ。小説集『幻の男たち』も買ってあった。1995年の「ジャズライフ 特集・浅川マキの闇」も所持していることがわかっていて、すぐに見つかった。新譜ジャーナル別冊『浅川マキの世界』も、はっきりと持っている自覚があったが、さあどこにあるか。こういうものがあるとすれば、あの棚だと掘り起こすと、これもすぐ見つかった。こういうことは大変珍しく、けっきょく買いなおすことが多い。

浅川マキが「黒」のブルース歌手になる前、ミニスカートをはいていたという証言を読む。足がきれい、だったそうだ。『浅川マキの世界』にはジーパン姿が写っている。出身地の石川県美川町は、グーグルマップで見ると、河口の海辺の小さな漁村。機会があれば訪ねてみたいが。

青柳いづみこ『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』平凡社

ピアニストで文筆家の阿佐ヶ谷在住、青柳いづみこさんの新著『阿佐ヶ谷アタリデザ大ケノンダ』(平凡社)が出た。いにしえの阿佐ヶ谷文士のことから、現在の町の様子まで資料と体験を通して、ことこまかに描かれている。なんと、このカバーイラストと、章扉イラストを私が担当している。井伏鱒二太宰治上林暁、そして青柳さんの祖父でもある青柳瑞穂などの肖像、そして町などを描いた。ここにカバーの画像が張り付けられればいいのだが、私には無理。検索して、見ていただけるとありがたい。

着色をデザイナー(松田行正+杉本聖士)にまかせたのがよかった。なんともいい感じに仕上がっている。黒色鉛筆でスケッチした私の絵だが、木山捷平は数枚描いてうまくいかず、さらさらとラフに一筆書きのように早描きしたのがいい感じに仕上がった。私の画業のなかでも画期である。将棋盤を除けば1分ぐらいで描いたはず。おもしろいもんである。プロは、これがさっといつでもその態勢で、このタッチを得ることができるはず。それでも、これは描けてうれしい一枚だった。

上林暁も何枚か描いたが、最初に完成したのはわりあい、カチッと硬い絵で、ラフ木山を描いた後、その筆の勢いでもう一枚描いたのが「女たちの阿佐ヶ谷会」の章扉に使われた、本棚を背にした一枚。これは木山のタッチを踏襲してできた絵だ。

絵を描くことは、本職でないだけに、毎回発見がある。自分の技量の領土を開発していく感じだ。もっと絵の仕事が増えてくれたらうれしい。

普通なら、出版に合わせて、トークイベント等の販促が開かれるはずだが、こういう時期なのが惜しい。