七七舎店頭で「あ!」と声が出た。

晴天、日差し強いが、風は涼しい。午後、自転車で国分寺・七七舎へ補充。売り上げも少しもらう。均一で4冊買う。うち、平凡社から出ていた(今からだと考えられない)文芸誌「季刊文体」3冊があり、面白いのはないかと目次を見てたら、草野心平庄野潤三の対談が掲載された号あり。「あ!」と思わず店頭で声が出る。いい組み合わせの対談だ。草野も庄野も対談集は出ていないはずで、貴重。「あ!」と、けっこう大きな声を出して、まわりに人がいなくてよかった。

「ジョルジュ・サンク」でタバコを吸いながら、「文体」を読む。『憧れの住む東京へ』浅川マキの章、藤圭子と並べた原稿を書き下ろす。娘の宇多田ヒカルが天才とか、ずいぶん騒がれたが、われわれの世代には、藤圭子の衝撃と存在感はまるで比較にならないほど大きかった。前川清と結婚し、「スター千一夜」かなにかで二人で出て、藤圭子がケラケラ笑うのに驚く。明るい娘だったのだ。ある文章に、二人の間に性生活(初夜は別にして)がなかった、なんて書いてあったが本当かしら。

藤圭子が飛び降り自殺したのは西新宿6丁目の高層マンション「アトラスタワー西新宿」。一度、その前に立ってみたい。立ち食いそばの名店「大橋や」からも近い。

田中小実昌「牛浜」へ。

『憧れの住む東京へ』田中小実昌の章に加筆加筆、「本の雑誌」掲載分の倍ぐらいの分量になった。1950年に横田基地に勤務、第5ゲートの最寄り駅だった青梅線牛浜」駅近くに、野見山淑子と住む。その「牛浜」を見ようと、本日午後、行ってみる。第5ゲートまで歩いてみる。何もかも変わってしまっているが、この体感を原稿に生かしたい。苦しい闘いが続くが先が見えてきたか。

祝! 経堂「ゆうらん古書店」オープン

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25日、3日連続のおでかけ。経堂で古ツアさんと待ち合わせ、24日にオープンした「ゆうらん古書店」を訪ねる。若き店主の今村くんは、ずっと「音羽館」で店員をしていたが、最初から独立するつもりで実現したのだ。いい店になってよかった。店に入る前に知り合いに2人会う。古ツアさんは触れていないのでぼくも触れない。くわしくは「古通」に書くつもり。まあ、古ツアさんがいち早く書いたレポートほどはうまく書けない。

出かける朝、サンダーバードを見ながら、祝開店として植草甚一イラストと「ゆうらん古書店」と入れた彩色画を描く。100均で買った16色固形絵具が、筆先にちょいちょいと水をつけて絵具をなすったらすぐ描ける便利なもので重宝している。なんの準備もいらない。ぶじ、今村くんに手渡し、喜んでもらえたようでよかった。

「ほん吉」「古書明日」へも寄り、なによりの古本日よりであった。これから2か月ほど、古本めぐりに最適の気候がつづく。

豪雨の東京を東へ、東へ。

連日のおでかけ。「上げ潮のゴミ」みたいに、引っかかったまま動かないぼくとしては異例のこと。24日は午後、三鷹。雨。金澤『フォークソングの東京』信幸さんと待ち合わせ。10分前について、指定の交番前脇の樹木の下のベンチで、バスで来るはずの金澤さんを待つ。しかし、来るバス、来るバスから下車する人にその姿はない。携帯の電話番号を知らない。律儀な人だから、バスが遅れて、というなら連絡があるはずだがない。日を間違えたか、と思い30分すぎたところで、あきらめて駅へ向かうとすると、交番の反対側に金澤さんがいた。「なあんだ、反対側で待ってたんですよ」となる。いい初老の男二人がまったくしようがないな。

茶店へ移動、まずは浅川マキ関連の雑誌記事、それにLPをちょうだいする。これは助かる。そのほか、ライター&編集者稼業の厳しい日々について語り合う。1時間ほどで別れ、あわてて高円寺、西部古書会館「中央線展」へ。この頃から雷がなり、豪雨に。

足元、ズボン裾を盛大に濡らしながら古書展で3冊。あわててまた車中の人に。夜、渋谷区富ヶ谷「白寿ホール」で青柳いづみこさん、高橋悠治さんピアノコンサートに招待をうけて出かける。代々木八幡駅を出たら、豪雨マックスで道路は川に。たっぷりピアノの音に包まれて、打ち上げにも参加。音楽畑の人ばかりで、宮廷にまぎれこんだ野良犬みたいな気分になるが、横に座ったサラリーマンの某氏に語り掛けると、ジャズファンを通り越してさまざまなミュージシャンと交流のある人で、しかも京阪沿線の会社に出向していたことあり、同じ駅を使い、同じお好み焼き屋でお好みを食べていたことがわかる。一挙、距離が縮まり、握手、握手。「浅川マキが」なんておっしゃるので、金澤さんからもらったばかりの浅川マキのLPを出したら、驚かれた。まあ、そうだろうな。ふつうはありえない。別れ際「これだけで終わる、お付き合いだとは思っていませんよ」と言われる。

日付が変わる前に、打ち上げの席を一足早く去り家路に。大変な二夜となった。

玉川奈々福さん「亀の子寄席」と「茅ヶ崎館」

23日、秋分の日。午前から動き出し、相模線に揺られて茅ヶ崎へ。ライター金丸裕子さんの生家横に義兄がやられている空手道場があり、そこでこの日、浪曲玉川奈々福さんの会があった。誘われて初見参。散歩堂、脳天松家両氏が同道して小雨のなか会場へ。浪曲は寄席の出し物の一つとして、あるいは「宮川左近ショー」やテレビ演芸番組でいちおう体に入っているが、生の公演は初めて。

会場は80席はあるか、満杯であった。応援団がいて、地方でもどこでも駆けつけるという。この日も20名くらい、茅ヶ崎に宿をとっての鑑賞。すごいなあ、人気が。奈々福さんの浪曲について寸評するだけの用意がない。ただ、圧倒的な発声と現代を盛り込んだ演出とアレンジに、浪曲という芸能を、いまの人に届けようとする努力と迫力を感じた。「空手バカ!アラブ風雲録 岡本秀樹一代記!」は新作、古典の「仙台の鬼夫婦」の二席を「たっぷり」。

この夜、「茅ヶ崎館」に投宿する奈々福応援団と一緒に、あの小津安二郎定宿の「茅ヶ崎館」へ。四人部屋を少人数の打ち上げ会場にして、男性たちと飲む。首領は散歩堂さんだ。長年、ああ「茅ヶ崎館」と思い続けたその場所で、飲む喜びをじっくりかみしめる。ビール、ハイボール、焼酎「ダバダ」にほどけていって、一瞬、内緒で4人部屋の布団と布団の間にもぐりこんで泊まろうと思うが、気を持ち直して雨のなか深夜に最後はタクシーで帰還する。地味なぼくとしては盛りだくさんの一日。ちょいと疲れました。

ゲラはファクスしてください

阪神が……と書きかけて止める。まったく、どうしようもないな。

21日はいちにちで4社からゲラがファクスで届いた。ぼくはいまだに、pdfでの校正、というのができなくて、紙でfaxしてもらっている。pdfだと目がつるつる滑って、しかも訂正、書き込みができない。紙だと、必ず手が入るのだ。

この日は午後、初めて原稿依頼のあった畑違いの雑誌編集者と駅前で会う。原稿を書くのに、いちいち打ち合わせ、ってふつうしないが、ぼくの読者だというので会うことに。適当な喫茶店がなく、しかたなく「コメダ」で1時間近くしゃべる。しゃべる間に書く原稿の方向性と構成が決まる。「それでけっこうです」と言うので、これは会ってよかったのだ。

こう書くと、忙しそうだが、いやあ、まったくヒマだ。週一の「サンデー毎日」がなくなって、週のピンがはずれて、ふわふわしている。「さまざまな気がかりがとぎれもなくついてくる」と井上陽水は歌ったが。

さいきんになって気づいたBS‐TBS「X年後の関係者たち」(MCカズ・レーサー)が面白い。「ブルートレイン」「海洋堂」とみる。時代のムーブメントを作った関係者を集めて、裏の話を聞く同窓会。カズ、といっていいのか、レーサーといっていいのかの仕切りがうまい。「1985年の阪神タイガース」「月刊ム―」の回があったようだ。「エヴァ」で盛り上がっているから、対象はぼくより一回り下の世代か。じつにテレビ的な発想の番組。