今頃『緋色の研究』を読んで感心したりして

2月3日は「立春」です。この時期になると、風の名曲「暦の上では」が自然に口をついて出る。ギターで弾いて歌いもする。「暦の上ではもう春なのに まだまだ寒い日が続く」と日記みたいな歌詞だが、メロディーに乗ると情感が出る。3番の「下りの汽車の時間が気にはなるけど 野球帰りの子どもたちの声 にぎやかな午後のひととき」という件が好きだ。私鉄沿線の小さな駅の商店街を思わせる。「汽車」というのがなんともいい。

パソコンのデスクかたわらに、先日「中央線展」で買った、『じゅんさいとすずき』『幸徳秋水の甥』が積んであり、箱入り背表紙が見える。ときどき、パッと開いて1ページとか2ページとか読んだりもする。後者は昭和50年刊で1300円。大卒公務員初任給が8万500えん。ざっと現在2・5倍の物価上昇で換算すると3250円ぐらいの値段。その10分の1ぐらいで買った。こういう箱入りの文芸書が傍らにあるだけで安心する。本ってそういうものだろう。吉田健一は「文学」という言葉を嫌い、要するに「本」だ、と言っていた。

コナン・ドイル『緋色の研究』をあっというまに通読。感心する。そういう話だったのか。1部はホームズとワトソンの出会い。2部が事件の真相を解く過去の話で、南北戦争前夜、北米中部の荒野が舞台。モルモン教が本部をソルクレイトシティーに創設する話とリンクしていく。「荒涼不毛陰惨などの特性が一脈あい通じて存するのはいうまでもないけれど」と延原謙のやや古風で硬い訳がぴったり。私は、ホームズが初対面の人がどういう人物か言い当てる天才や、こみいった謎解きにはあんまり興味がない。『緋色の研究』という邦訳タイトルもすばらしい。原題「ア・スタディ・イン・スカーレット」より、はるかに陰鬱で意味深だ。

今日は午後から「サンデー」の仕事をやり遂げます。