国立市石田町

仕事と向き合う時間を先に延ばすため、あれこれと無駄なことをやっている。地図を見る、なんていうのもその一つで、各種都市区分地図をたくさん持っていて、今度はどこへ行こうかと考え、あれこれと眺め、ああそうなのかと気づいたりもする。先日、国立から谷保、谷保の城山、はけの道をヤクルトの脇を通り、郷土資料館先のバス停から国立までバスで戻ったのだが、そのコースを確認していると、変なことに気づいた。南武線「矢川」駅南側に、食べ物のカスがくっついたように、非常に狭い「石田」という町がある。しかも飛び地になっている。合わせても中ぐらいの公園ぐらいの面積しかない。どういうことだろうと、ウィキペディアを読んで分かった。こういうことなのである。

「石田という名は、もともと、現在の日野市の一部にあった藩政村の石田村の住民の一部が17世紀末ころに当地へ移り住み、石田村飛び地とされていた区域が当地一帯にあった名残である。この石田村飛び地は、町村制施行を受けて1889年に谷保村、青柳村と合併し、谷保村の一部となった。 1929年に南武鉄道が、当時の谷保村大字石田の中央を貫く形で開業し、1932年には矢川駅が開業した。 一帯はもともと桑畑などが広がっていたというが、やがて南武線の北側には都営の住宅団地が設けられた。1965年に町名地番整理によって新たに富士見台が設けられた際、大字石田の南武線より北側の部分は富士見台四丁目の一部となった。大字石田として残された区画はわずかで、国立市の町丁としては最も小規模なものになった。」

さあ、仕事をしよう。