呉市倉橋在住の昭和2年に20歳の男性の肉筆日記研究

うかうかしていたら10月か。月がきれい。2日、盛林堂で少し補充と清算。先月の売り上げはほとんどないと覚悟していたら、それなりにいい。助かった。高円寺「西部展」へ。あれこれ1400円買う。なかに昭和2年に20歳男性の個人の肉筆日記あり。名前も住所もなく、記述からあれこれ推測すると、呉市の瀬戸内の島「倉橋」の浜沿いの町に住むと分る。大正天皇ご大喪、芥川の自殺などにも触れ、これが大変な読書家、勉強家でハイネ、メーテルリンクドストエフスキー、有島、厨川など片端から読破している。しょっちゅう東京の出版社へ注文を出し、改造社、新潮社の円本も購入。アルスにミレーの画集も注文している。さぞ高価だったろう。原書も読んでいる。最後の知人の欄にあるのも出版社、古書店の住所。

どうやら郵便局に勤めているようだが、妹は実践高女、兄は立教大と、おそらく裕福なインテリ一家で、日記氏のみ旧制中卒のようだが、この年の末、いよいよ上京していく。「上京する文學」だ。青年らしい苦悩や煩悶が随所に見受けられ、時代の子である。よく「桂浜」に散歩する記述があり、これで最初四国かと勘違いした。鉄道はなく、汽船による交通が盛ん。移動はもっぱら船による。倉橋へ行きたくなってきた。

昨夜は半年ぶりに牧野伊三夫邸におよばれ。いつも同人が集まって作業する「四月と十月」発送が、コロナ禍で、近所のお二人+牧野夫妻による。ぼくは夜の宴のみ参加。そこで、秋田県湯沢への古いアルバム旅の話をすると、なんと、牧野夫人の故郷が湯沢であった。大いに驚く。ラーメン一品のみの「長寿軒」の名を出すと「父のいきつけ」でしたという。牧野さんも食べている。