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そのころにはコロナ禍が沈静しているといいが。八王子の髙橋「白い扉」秀幸さんの申し出で、3年前に開催した岡崎武志展をふたたび、やってもらえることになった。秋になると思う。少し躊躇したが、元気の出ることをやっていきたいと承諾、打ち合わせをすることに。すでに「その気」になり、未使用の大小のスケッチブックを手元に揃え、色鉛筆で絵を描き始める。いちばん親しんだ、手っ取り早い画材。前回は青か黒一色のものが多かったが、今回は色彩を入れ、水彩、そして油絵にも挑戦したい。前回、買いそろえた油絵セットが手つかずのままだ。今年の角田光代さんからの年賀状に「個展やるときはお知らせください」と書いてあって、そうか、前やったとき、ランニングの途中に立ち寄ってくれたのだと思い出した。淋しく生きているのでありがたいことである。

ぼくの絵の師匠は牧野伊三夫さんと勝手に決めていて、牧野さんの随筆集に挿入された絵をあれこれ眺める。不思議と絵が描きたくなってくる。「雲のうえ」取材のとき、何度も牧野さんがスケッチするのを脇から眺めていたが、手先は早く、しかし丹念に線を重ねながら、じっくり画面を作っていた。これほど勉強になることはなかった。

松本竣介の画集、とくに素描を熱心に見たり(どうしたら、こんなにきれいな線が引けるのだろう)。「元気をもらった」「癒された」という言い方がぼくは嫌いで、そういうことが自分にないとは言わないが、口に出すと陳腐になる(魔法が解ける)気がするのだ。自分で「元気」を創出していかないとな、ともうすぐ64の男は思うのである。先週水曜に「サンデー」締め切りがあり、今週月曜、前倒しでまた締め切りが。あのこと、このことも気にかかる。

美術展で絵も観たくなってきた。再開した際にさっそく国立「たましん」美術館へは行ったが(客はぼく一人)、素晴らしい収蔵展だった。出点数もこれぐらいでちょうどいい。藤田嗣治のペン画で描いた大阪の絵に再会し、みほれる。また近々、見に行こうと思う。1枚あげますよ、と言われればこれだ。

本を目が腐るほど読んでいて、レコードもがんがん聞いていて、京都左京区銀閣寺参道の下宿を思い出す。いま考えれば、青春期を京都で過ごせたのはよかった。母親が7年ぶりに京都へ戻ってきて一人暮らしを始めた。また、母親に会うため、京都へも行こうと思う。