誕生日と石原吉郎

3月28日朝、64回目の誕生日を迎える。さして感慨はない。夜、「四月と十月」144号完成、発送を半ば終えた牧野邸へ招かれ、小宴。牧野ジュニア、もうかたことながらよくしゃべるように。「おかぁさん」ほか、「まめ」「はくさい」「のり」「かんぱい」などの語が。さすが食いしん坊で飲んべの息子だけある。誕生日だと言ってあったので、ハッピーバースデイを歌い、ショートケーキにローソクたてて誕生会を開いてもらう。前に同様のことがあったのはいつかも思い出せない。「四月と十月」会計で、牧野邸宴会の常連Yさんから、焼酎をプレゼントされる。いい夜だった。

カバーに引っかき傷があったためか、思い切りやすかった多田茂治石原吉郎「昭和」の旅』(作品社)を飛び掛かるように読み始め、一気に通読。付箋だらけとなる。シベリア抑留の過酷から、帰国後の受難、詩の世界で名声を得てからも心は滅び、アルコール依存症になっていく。切々たる人生を著者は私情を交えず、取材と資料から起こしていく。シベリア帰りが「アカ」と敬遠され、就職も難しく、一族からも距離を置かれたなどという記述にハッとする。

帰国後、ようやく就いた職場で仲間の手助けをしようとしたところ激しく拒絶され、石原は帰宅後、服を着たまま風呂に飛び込み泣いた。翌日から出勤せず、酒を飲み続けたという。「身近な敵」の一撃だった。回りに自裁した人も多い。高名な詩人となった石原は日本現代詩人会の会長に就任。「権威の座に就いた石原のまわりには、名を売ろうとする女性詩人たちが群れ集うようになった」とある。

「精神の崩壊は肉体の死滅も招きやすい。精神的に高い生活をしていた者が、弱い肉体を持ちながら、体力のあった者より生きのびたケースは珍しくない」と、石原の愛読書だったフランクル『夜と霧』に関連づけながら著者はそう書く。ここも付箋。

付箋を貼ったところだけ抜き書きして、小さなノートを作ろうかと思い、100均で小さなノートを買ってくる。家じゅう、小さなノートだらけなのだが。