善行堂15周年イベント、まだまだやりたい。

スケジュール帳に記入なく、うっかりしたが、8日が「ふくらむ読書」締め切りだったようで、1日待ってもらい、9日の今日、あわてて仕上げる。富岡多恵子(現・惠)『仕掛のある静物』所収の「子供芝居」を取り上げる。9歳の少女が大正期の新世界ルナパークで子供芝居の役者を務める話。めずらしい題材。いちおう用意はしていたが、急だったのでうまくいったかどうか自信なし。

京都では「一日バス乗車券」が廃止になったとかで、ちょっと困ってしまった。宝ヶ池「ブ」では、以前、替えの下着や持参した文庫などを入れた荷物をカウンターで預けたら、買い取りと間違えられ、勝手に精算(600いくらか)されたことがあった。人のパンツによく値をつけたものだ、と怒り心頭に達し怒鳴りつけてやろうと振り上げたこぶしを、「いや、これは面白い。ネタになる」と振り下ろしたのだった。これは笑いの取れる鉄板ネタになった。

今回、その宝ヶ池「ブ」へ行くのに、泊めてもらった善行邸からバスで宝ヶ池駅停留所へ。途中、料亭の「平八」がありバス停になっていた。高野川の橋を渡り、「子供の楽園」という整備された広大な公園を突っ切る。京都にあれほど長く住んだのに、まったく未知のエリアであった。観光客のいかない、まだまだ知らない京都がある。

善行邸では2泊させてもらい、両日夜、善行夫人(若いころより知る)も一緒に、私生活のことなどあれこれ話す。「オールドパー」めちゃ美味し。ぼくが日頃いら立っていること、不満に思っていること、納得いかないことをぶつけるが、善行がそれを受け止め、客観的な視点で「~とちゃうか」とアドバイスくれた。これでずいぶん楽になった。じつはこの一ヶ月ほど、まったく夜が眠れず、朝になって眠る変な習慣がついていた。あれこれ独り相撲で考えすぎるのだ。60後半にもなって、こんなに狭量で不安定なのか、と驚く。ぼくは他人にはけっこう「いい顔」するが、心の内側は砂嵐なのだ。

今年一年、善行堂15周年のイベント、またやろうと話す。一度、客や知り合いを集めて、善行堂杯カラオケ大会をやりたい、などと話す。金子『二月十四日』彰子さんが歌がうまいのは知っているし、以前カラオケ大会をやったとき、「窮理」夫妻も出版界のトワエモアと呼びたくなる秀逸であった。そうか奥さんはキューリ夫人だ。

京都では若い人がイベントスペースを持つカフェ(「み空」や「多聞」)など、次々と作っているとのことで、そこで善行とトークとギターで唄う会をやってもいい。「お互い、愉しいこと見つけて、がんばっていこうや」が今回の結論となった。高一のとき同じクラスになって、浪人時代に接近して以来、善行とこんなに長い付き合いになるとは思ってもみなかった。

岡山では、すっかりお世話をかけた「倉敷から遠いで」さんから、レンタカーで巡ってきたという沖縄の古本屋事情について取材めいたことをする。とくにアメリカのスクールバスを改造した古本屋「砂辺書架(しなびぬしょか)」についてくわしく聞く。次号「本の雑誌」連載に書くつもり。善行堂イベントに来た「にとべさん」からは「おかざきさん、元気じゃないですか」と、あちこち動いていることを言われ、そうか、ぼくは元気なのか、と上向いた気持ちになった。にとべさん、ありがとう。

怒りの葡萄』は下巻に突入。「赤旗」に掲載された庄野潤三展の原稿掲載紙が届く。