駅そばレポのkiyuさんのファンに。

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前日、立ち食いソバツアーのユーチューブで、山手線行脚を紹介したが、これはkiyu(キユウ)という職人だった。彼は東海道線西武線、中央線、常磐線ほか、各沿線を制覇してアップしている。改札内に立ち食いのない駅もけっこうあり、それは事前に分かるからスルーしてしまえばいいのに、いちいち降りて、電車が去る映像を撮影している。職人魂を感じる。一度でファンになった。「かけそば」オンリーとか、一番高いのを食うとか、小技(カレーライス)を使うとか工夫あり。見ていて飽きない。汁まで残さず飲んで、一日(だろうね)10何杯とかたべるんだから、すごい。

ノートに、彼がどこで降り、何を食べたか、それは幾らかとかメモをし始めると、どんどん時間が過ぎていく。2日ほどユーチューブ「食レポ」もの中毒になり、その流れで、これを発見。まあ、観て下さい。ちょっと感動してしまいました。

残留思念を頼りに書き直し

7月の雨の涼しい朝である。新日本紀行下北半島」の夏祭り風景を見ていると、眼鏡をしている人が少ない(気づいたのは、3,4人)。風土というものがあるのだろうか。

一昨日、「サンデー」原稿を夕方仕上げ、保存していから送付、と思い、いつも通りにするが、保存に関する変な画面が出て、なんだかよくわからず進むと、どうやら、いま書いた原稿は保存されず、一回前の原稿が送られてしまった。さあ、それから七転八倒、悪戦苦闘。管理会社や、サンデー担当のSさんに電話するも、地下から携帯の電波が届かず(雨のせいもあるか)、とにかく復旧できず。

一瞬、茫然となり(5本のミニ書評)、もう今夜はふてくされて寝てしまおうとも思うが、まだ熾火が残っているうち、もう一度火を焚こうと、残留思念を頼りに、一時間ほどで原稿を書きなおす。カポーティや三島レベルなら、まったく一字一句変えず、復旧できただろうが、ポンコツでは致し方ない。終わるとぐったり。もうこんな仕事は止めて、海辺の町で、壊れかけた小屋を借りて静かに余生を過ごそうか、と思う。

昨日は「サンデー」本えらび。Sさんとひとしきり、原稿消滅の話し。「もうSさんの家に雇ってもらって、庭の整備、石灯篭を動かしたり、池の鯉に餌をあげたりして食べさせてもらうか」と言うと、「うち、そんな庭なんかありませんよ」と笑う。「サンデー」へ行く前、飯田橋下車。立ち食い名店行脚として飯田橋五差路交差点近くの「豊しま」へ。久しぶりに飯田橋「ブ」へも寄る。「ギンレイ」年間パスポートを辞めてから、飯田橋へ来る用事がなくなった。『樋口一葉と歩く明治・東京』小学館を買う。「サンデー」終えて、最寄り駅まで戻り、「みちくさ」、国立「ブ」へ。「みちくさ」で原武史大正天皇』と、シバのCD『夜のこちら』を。「ブ」では、マイルス・デイビスの10枚組(LP20枚分を収録)を買う。

なんで、こんなに気が大きくなったか。そうだ、「盛林堂」で先月の「岡崎棚」の精算金を受け取ったのだ。

立ち食いソバ行脚

あいかわらず、本をよく読んでいる。生島治郎『浪漫疾風録』の続編ともいうべき『星になれるか』(前者のほうが面白かった)ほか、またわが地下室よりロス・マクを一冊発掘して『ファーガスン事件』を。『動く標的』は田口俊樹の新訳が出ていて、これを買って読むという具合に。関川夏央も読み返して、叙述含め勉強になっている。最低一日一冊以上は読んでいるだろう。しかし、本の読書量を誇るのは野暮だ。ぼくも誇るつもりはない。いくら読んでも、頭は少しもよくならないし、これ以上、人格が陶冶されることもないだろう。読まずにはいられない、というだけのことだ。それに楽しい。

立ち食いソバのことが時々気になって、あそこへ行こう、ここへ行こうとメモしているのだが、ユーチューブで、山手線一周改札内に限る)全駅立ち食いソバ行脚というのを見つけて、ややあきれながら観る。渋谷、日暮里、鶯谷、有楽町ほか、駅構内にないところもあり、それでもすべてかけそばだが17杯を食べている。これ、一日、だろうか。大した奴だ。「きらく」「そばいち」「爽亭」など、複数駅で営業するチェーン店は、味は同じだと思うが、律儀に、何度も食べている。汁も全部飲む。うーん。気が付いたら、そばが洋服着てベンチに座っていたりして。

五反田駅ホームにある「道中そば」は、南部の古書展へ行く時、いつも目にするが、古書展へ早く行きたい、ということで食べたことがない。ここは「かけ」270円、と一番安い。高いのは「品川 常盤軒」の310円。「あじさい茶屋」はうまいと思ったことがない。少しは改善されただろうか。

そういえば、大阪なんばの「なんばうどん」は、かけが190円。ここは安すぎ、だが、だいたい東京より大阪は100円ぐらい安い。東西線「西葛西」高架下にあるという「やしま」に目をつけている。

やや丈の高い時代の岩波文庫表紙に着色

午前中に都知事選投票を済ませる。うっかりマスクをせず出て、あわてて取りに戻る。外出する際(電車やスーパー、店内に入る時のみ)にしか、ふだんマスクをしないので、ひどく息苦しい。メガネが曇る。みんな、よく耐えている。

「古書通信」連載、鳩山町「遵古堂」編を書く。締め切りはまだ先だが、早く書かないと、印象が薄れてしまう。写真を何点か使ってもらおう。そのため、字数はややアンダーに。フランシス・レイ「男と女」サントラを聴く。

昨日は国分寺「七七舎」「春風書房」へ。各店の店主と言葉を交わし、それぞれで何冊か買う。現行よりやや丈の高い(5~6ミリ)、栞紐つき時代の岩波文庫吉村冬彦寺田寅彦)『藪柑子集』昭和14年を100円で。この時代の岩波文庫のたたずまいが好きだ(糸綴じで頑丈)。家に帰って、表紙に水彩絵の具で着色する。亡き妻を追慕した名品「団栗」を久しぶりに読み、いい気分になる。また、小石川植物園を散策したい。

『明日咲く』重版!

昨日は、一日外出。東松山在住のともだちIくんのガイドで、岩殿観音、物見山、鳩山ニュータウンの「遵古堂」(骨董と古本)、昭和レトロ温泉「玉川温泉」と車で巡り、東松山「あふたーゆ」へ寄り、「千」で打ち上げ、カラオケ(なんと盛りだくさんな一日であることよ)して帰宅したらもう日付が変わる少し前。楽しかった。「遵古堂」のことは「古通」に、あちこち散策のことは「オカタケな日々」と分けて書くつもり。

「遵古堂」に滞在中、着信。春陽堂書店から『明日咲く言葉の種をまこう』の重版決定の知らせが。あちこち紹介され、本が動き、それでも昨今の出版事情からすると慎重だったが、ついに。非常にうれしいことです。直せるところがあれば直すため、久しぶりに通読することに。

オカタケな日々30がアップされました。

気が付いたら7月に入っていた。コロナ禍がなければ2020東京五輪で大騒ぎになっていたところである。朝、目覚めたら梅雨の晴れ間の上天気で、風さえ涼しい。台風一過のときの空気だ。

昨日、古い名刺ブックが出てきて、あれこれ見ていると、この仕事を始めた頃のいろんなことを思い出す。え、こんな人とも名刺交換していたのか、ということも。30年という歳月が過ぎたことを思う。ここまでよくやってこれたものだ。文章を書くのが苦にならない、というのが自分にとって武器で、飽きずに仕事ができた要因かと思う。腹立つこと、屈辱、厭な奴とも遭遇してきたが、おおむねよき人間関係を作れてきたのではないかと思う。そのことを触れ合った人たちに感謝したい。

なかに業界デビュー作となった『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社)を、一緒に作ったフリー編集者Mくんの名刺が出てきて、ちょっと検索したらフェイスブックをやっている。すぐ友達申請を出して、久々(20年ぶり、ぐらい)にメールで言葉を交わす。まだ、ちゃんとこの業界で活躍していると知り安心する。「メンズ・エクストラ」で著者インタビューをしている時の担当、これもフリー編集者のIくんは行方知れず。この30年、業界の流れは激しく急で、流されてしまった人もいるだろう。

なんだか、しんみりしてきた。春陽堂書店ウェブ連載「オカタケな日々」30回がアップされた。日録的なことを、最初書いていたが、このブログが始まり、だんだん一回いっかいがまとまったエッセイ、評論みたいになってきた。月2回の更新で、1回が約10枚くらいか。写真とイラストも自前で、高いとは言えないが原稿料ももらって、月々だから助かっている。今年は大事な年に思えてきた。いろいろな意味で。

 

https://www.shunyodo.co.jp/blog/2020/07/okatake_30/

赤信号の小宮の親戚に小説家がいて、その名はなんと!

どういうことか分からないけど、一回分、この日記が別のところでアップされたようだ。そういえば、ちょっと画面のデザインが違っていた。まあ、よく分かりません。

雨も上がったようだ。昨日は涼しかったですね。本当は、埼玉県在住の畏友Iくんと、某所を訪れる予定にしていたが、行く先の相手の体調不良でキャンセルとなる。またの機会に。

東松山とか、高坂とか、そのあたりをついでに散策するつもりだった。そういえば、あるイベントで、井上理津子さんのトークのお相手をつとめるため、あのあたりのニュータウンへ高坂からバスに乗り行ったのはいつのことか。検索して2015年のことと知る。5年前か。いや、もっと前のような気がしていたが、よく考えるとそんなものか。

こういうふうに時間(年数)の感覚が、年をとるにつれ、どんどんいい加減になっていく。考えたら還暦パーティーをしてもらったのが3年前なんですね。スケッチ展をしたのが2年前の末。そうしてピン留めして、なんとなく時間の感覚を位置づける。

某紙の書評依頼で安藤鶴夫『東京の面影』幻戯書房を読む。その幻戯書房から坪内祐三『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』と長いタイトルの、著者による追悼文集、同じ日、亀和田武さんの『夢でもいいから』光文社が届く。小説宝石に長期連載のクロニクルエッセイ第二弾。亀和田さんがテレビ業界で仕事をしていた時代の話が中心で、タレントや業界人の名前がたくさん出てくる。ドライブ感のある生きのいい文章でぐいぐい読めます。坪内くんと渋谷から三茶に流れて、飲んでいたら、赤信号の小宮泰さんに声をかけられ、ぼくの親戚のおじさんに小説家がいるんだけど、今まで周りで知っているという人が誰もいなかったという。誰、と聞くと「川崎長太郎」!。当然ながら亀坪コンビはひっくり返って驚く。この話、好きだなあ。