キング『心霊電流』文春文庫の解説を書いた

奥付は2022年1月10日発売のスティーヴン・キング『心霊電流』(文春文庫)上下巻が2セット届く。じつは、この解説を書いたのが僕だ。依頼があったときは、なぜ?と思ったが、単行本発売当時、「サンデー」に書いた400字ほどの短評を読んでくれたとの編集者の弁に、ありがたいことだと引き受けた。しかし、2週間ほど、頭はキング、『心霊電流』べったりとなり、脇に冷や汗をかきながらなんとか400字10枚ほどの解説文を書いた。今年掉尾の、僕としては大きな仕事となったと思っております。キングの文庫なら、簡単に品切れにはならないだろう。いつまでも残るわけで、そこが怖いといえば怖い。あ、『心霊電流』も心底怖く、ファンタスティックな長編です。

昨日、快晴、日はあたたかく、午後自転車でふらりふらりと東村山「なごやか文庫」へ。ちょこちょこっと買う。カバーなしだが、青島幸男『ざまァみやがれ!』プレイブックス1966年がいちばんの買い物で10円。いまどき、10円って。奥付をみると1か月で32刷りって、ほんとかな。写真とイラストをミックスさせた大胆な図版ページは紫藤甲子男。あれ、しとうきねお、のことか。超多忙な青島だったから、明らかに口述筆記っぽい文章だ。

いつもは帰りは府中街道、もしくは村山浄水場のある鷹の道を使うのだが、この日はひさしぶりにもう少し北、旧青梅街道を西進。上り坂でハエが止まるようなスピードでこいでいると、左に「古本」の文字を発見。「古本×古着 ゆるや」(東村山市野口町2-5-27)だ。まったく未知の情報に興奮。くわしくは「古通」か「オカタケな日々」に書きます。ご期待ください。酷使しすぎて、もう尽きたかと思っていた「古本」運がまだまだ残っていた。

本日「サンデー」原稿が仕事納め。袖斎が死んで『渋江袖斎』読みのスピードは落ちたが、なんとか読みつないでいます。

 

神楽坂の夜、富田木歩のこと。

カルロストシキとオメガトライブが、みな80代となり、40年ぶりとかでテレビの歌番組で顔を合わせる。断っておきますが、夢の話で時制などめちゃくちゃ。楽器を持たず、アカペラで「君は1000パーセント」を唄うが、メンバーの一人が声が出ず、首をかしげながらそれでも唄う。しかし、みんなうれしそうだ。いい光景だなあ、音楽を一緒にやっていた仲間だなあ、と思ったところで目が覚める。

昨日は夕方から、坂崎重盛さんと神楽坂で飲む。2年以上ぶりか。いろんな集まりで、ぼくが一番年上というケースが増えて、年上の尊敬する先輩に甘えるように2軒をはしご。「鶴肴(つるこう)」と「トキオカ」。どちらもいい店で出版関係者が常連のようだ。坂崎さんは「顔」である。もう1軒行くという坂崎さんと別れ帰途に。「トキオカ」のご主人と一緒に働いている人両名が、ぼくのことを知っているというので驚く。坂崎さんに手渡した『ドク・ホリディが暗誦するハムレット』を、「じゃあ、ここに置いておきます」と坂崎さんが言ってくれる。

行きの車中、坂崎さんとならそんな話になるだろうという予習で、「銀花」1993年の「東京の散歩道」特集号を読んでいたら、辻征夫が「枕橋を通って」という文章で、富田木歩(もっぽ)という俳人について書いている。2歳で歩行不能となり、学校も行かず、「いろはかるた」で文字を覚え、「ホトトギス」に投稿する。大正の関東大震災の日に逃げ遅れ亡くなる(1897~1922)。三囲神社に「夢に見れば死もなつかしや冬木風」の句碑あり。へえ、と思い、同じカバンに入れていた小沢信男『俳句世がたり』岩波新書をめくると、ちゃんと木歩が登場する。こんなこともあるのだ。一挙に、いろいろなことがわかる。

震災の日、親友で死後も木歩の顕彰につとめた新井声風が急いで木歩のもとに駆け付け、足なえの友をかついで火の中を逃げるが、木歩が声風の背を押してとどまり、声風は川に飛び込み生き残る。これは小沢さんの本で知った。坂崎さんにその話をすると、さすが「木歩」についてちゃんと知っていて、いろいろ補足してくれた。

小さな忘年会のあと小さな古本屋へ

NHK=FM「(×)かけるクラシック」を聞きながら昨日のことを。MC男性が「市川さん」と相方に話しているが、誰だろうと思ったら市川沙耶だった。よく、あちこち出る娘だなあ。

昨日は午後、吉祥寺経由某所で小さな集まり(忘年会)がある。前は定期的に10名ほどで集まっていたが、コロナ禍でストップ。できるかぎり少人数でささやかな再会。経由駅「吉祥寺」下車し、今年できた女性古書店主の「のんき」を初訪問、「よみた屋」へもひさしぶり。両方で買う。

「民藝」について、手っ取り早く概要を知りたいと、「よみた屋」店内で「芸術新潮」の日本民芸館特集号を。井の頭線車内でパラパラ見てたら、津野海太郎さんが連載で角田光代岡崎武志『古本道場』を1ページ丸まる取り上げてくださっている。へえ、知らなかったなあ。2005年のこと。遅ればせながら、津野さん、ありがとうございます。小特集が「和田誠」で、これはいい号を買った。

代田橋駅前で夜だけ営業している小さな古本屋(沖縄「ウララ」よりさらに小さく日本一の座に)「バックパックブックス」へ。もと「キネ旬」編集部にいた若者が店主。面白いなあ。これは「のんき」とともに「古通」で書けそう。

ブルース・ダシルヴァ『記者魂』(ポケミス)読了。

塩山「ころ柿の里」ハイキング

18日快晴、「青春18」2回目を使い、散歩堂さんと中央本線「塩山」へ。信玄のみち「ころ柿の里」をハイキング。万歩計は1万歩を超える。駅でレンタサイクルがあると知るも、登録してスマホでどうこうするという面倒なタイプで、昭和なぼくには無理だ。駅駐輪場におじさん(おばさん)がいて、鍵をもらって「気をつけて行ってらっしゃい」と背に声を聞いて現金決算、というほうが、ぼくは楽だしうれしい(スマホ族には逆にこっちが面倒だろう)。塩山駅のキオスクも、現金いっさい使えずカード決済のみ、という(店員がいたが)、どんどん冷たいシステムに変わっていくようで興ざめ。割り切って、早く慣れろよという話だが。

「ころ柿の里」ハイキングはよかった。桃源郷という言葉がぴったりの、かつて養蚕で繫栄した古い家や蔵、土塀、曲がりくねった道、寺社、それに花梨、柿、ぶどうの棚、足元を流れる側溝の水と、陶然となる風景が続く。しかし、運動不足はなはだしく、折り返し点の恵林寺で白旗をあげ、タクシーで駅まで戻る。自転車がもっと簡単に借りれればなあ。いや、運動不足だからこそ、これぐらい歩いたほうがいいのはいいのだ。

4時前の中央本線普通に乗り込んだ時は明るかったが、みるみる夕闇が濃くなり、国立で散歩堂さんと下車したときは真っ暗。国立はクリスマスイルミネーション。「ブ」へ寄り、「王将」で打ち上げ、カラオケへ。散歩堂さん「俵星玄蕃」(三波春夫浪曲歌謡、名作)を唄うも、やや拙く、一日3回、ユーチューブで練習して仕上げるように命じておく。

西村繫男絵本原画展を「ビブリオ」で

16日、午後外出。国立「ビブリオ」で「西村繁男絵本原画展」を見る。西村さん在廊。ファンの女性たちに囲まれている。ぼくも『もうすぐおしょうがつ』を買ってサイン、イラストを入れていただく。うれしい。『やこうれっしゃ』を紹介した「ビッグイシュー」コピーをお渡しする。

原画を見ると、直し(ホワイトなどの)がない。精密で丁寧な仕事に見入る。画廊で待ち合せた同姓の編集者・岡崎智恵子さんと喫茶店で雑談。2年ぶりか。『これからはソファーで寝ころんで』『明日咲く言葉の種をまこう』を作ってくれた人。一時期、打ち合わせやゲラのやりとりなど、ひんぱんに会っていたのに。積もる話をあれこれ。

このあと一緒に「三日月書店」へ。均一で3冊。みすず・ぶっくす、高田博厚『思い出と人々』は著者サイン入り。献呈相手も有名人だった。未使用の5円はがきが挟まっていて、100円だったが実質95円だ。ちょうど届いたばかりの「古通」今月号に「三日月」について書いていたので、レジにいた山崎くんに挨拶して渡す。

このみすず・ぶっくすという新書は好きで、長谷川四郎の随筆や江藤淳の評論も入っていたはず。大阪駅前第一か第三ビルの古本屋で江藤淳を買った覚えがある。100円なんかでは買えなかったですよ。ついている定価よりは高かった。

今月号「古通」広告で、「いわき」に行ったとき訪れた「阿武隈書房」さんが、仙台にも店を出したと知る。青葉区本町。「火星の庭」への途中に立ち寄れる位置だ。月火水がお休み。こんど、仙台へ行ったらぜひ訪れたい。

『渋江袖斎』は半分くらいまで。あれ、袖斎が死んじゃった。残り半分はどうなるの。

しわだらけの我が手の甲を見る

愛機「DENON」が故障し、本に埋もれたソニーのラジカセ(加藤登紀子愛用)を掘り出して、ここのところ、音楽をよく聞いている。FMも入るので、今日はいちにちNHKーFMを。クラシック音楽の番組が多いですね。昼はお好み焼きを一人で。タネと具をまぜすぎぬよう心掛ける(ケンコウテツの教え)。ふんわり焼きあがった。4分でひっくり返してまた弱火で4分。

『渋江袖斎』脱落せず、読み進めている。いい調子だ。いま120ページくらい(全331pページ)。ついに黒船来航。安政の大地震も。時代は騒然としていた。大店の息子が吉原で放蕩など、落語の世界を現実にする話も多い。「佐野槌」(さのづち)なんて妓楼も登場。おお「文七元結」だ。袖斎4番目の妻・五百(いお)がよく出来た器量者で、これも落語のおかみさんっぽい。当方に学がなくて不明なところはすっ飛ばして読む。数年で入れ替わる年号については吉川弘文館『歴史手帳』でチェック。中公文庫の詳細な注に助けられている。『渋江袖斎』を読んだ、と早く言いたい。

「サンデー」をなんとか送稿。ほっとする。しわだらけの我が手の甲を眺め、これは完全なる老人の手だと思う。