耕治人と取り組む一日

『憧れの住む東京へ』は連載分だけでは枚数が足らず、大幅加筆もするが、新章を書き下ろす約束になっている。これが大変。いちおう、耕治人でいくと決めていて、ところが全集(晶文社、全7巻)を、バラで1と4しか持っていない。ほか、単行本を3,4冊。講談社文芸文庫も所持。まったくゼロなら、何としても全集を買うが、ここらが微妙。地元図書館の「閉架」に所蔵と知り、残りの巻を借りにいき、終日、耕治人と取り組む。いくつか、方針も立てる。

借りた全集は、まだ後ろ見開きに貸し出し者の日付一覧の紙が貼ってある時代のもの。ところが、貸し出し者ゼロである。おそらく10年ぐらい貸し出しがなく、閉架に収まったと思われる。しかし、赤鉛筆で一か所、チェックが入っている。借りずに、図書館内で閲覧して、書き込んだのか。誤植とはいえない、誤植の指摘。でも、これはぼくがやったんじゃないよ、と返す時に言ったほうがいいのかどうか。返却時に状態のチェックとか厳しくなり、「これは、最初からこうだったですか?」と、古書用語でいえば「蒸れ」を言われたことがある。声を荒げず「最初からこうでした」と答えたが、じつに不愉快である。

たぶん延長で、8月いっぱいは借りることになるだろう。時間があるのでありがたい。もう一度、耕治人が住んでいた野方へ行こうかと思う。前回、雨でどがちゃがになったが、今度は「ここ」と特定できそう。純喫茶の傑作「無垢」へ再訪するのも楽しみ。野方はまだ探検する余地あるのなり。