今年はバットがよく折れる?

今年はプロ野球阪神戦をテレビでよく観戦している。珍しいことだ。もう20年近く、ほとんど興味を失っていて、翌日の朝刊スポーツ欄で、もちろん勝てばうれしいがそれぐらいのこと。通して一試合を見る、ということはほとんどなくなっていた。

ところが今年はシーズンに入ってから広島戦、そして巨人戦の2試合など、けっこうソファに寝転がって楽しんでいる。もちろんドラフト1位で入団した大物、佐藤輝明への期待だ。内角攻めに苦しみ、低迷しているがまだまだ評価を下すのは早すぎる。

昨夜は巨人に圧勝。BS朝日で見たのだが、解説が岡田彰布。岡田の解説、どうなのかなあ、と疑問視していたが、昨日、おもしろいと思ったのが、今年のプロ野球、バットがよく折れる発言。たしかに。とくに佐藤に目立つのだが、一試合に1本は折っている印象。広島戦では3本折った。

岡田は「バットを折るのは選手にとって屈辱よ。ぼくなんか、1シーズンを1本で通したこともあった」と言う。岡田のバットは当時950グラムとかで今より重い。それがシーズン終えると990グラムぐらいになっていた(細かい数字は記憶であいまい)。「今のバット(800グラム台)は軽すぎる」とも。こういう話はおもしろい。むしろ、投手の力が増して、変化球のきれ、速球のスピードが昔と違う、というのが一番の要因ではないか。

ぼくは阪神ではルーキーの中野拓夢を買っていて、打撃、守備とも精彩がある。笑顔もいい。もっと使ってほしい選手である。

海野弘、武蔵野を歩く。健脚にびっくり。

寒い朝を迎える。なんだ、4月に入ってこの寒さは。

「オカタケな日々」51と52、写真とともに送付。「赤旗 試写室」は内藤剛志主演の「捜査一課長」シリーズの最新作について。ぼくはもうこのシリーズについて書くのは、3回目ぐらい。自分で選ぶのじゃないから。

海野弘『武蔵野マイウェイ』冬青社を、短評紹介のときざっと読んでいたが、今度はていねいに読む。2001年から17年まで同人誌「断絶」に連載されたもの。驚くのは海野さんの健脚ぶり。1939年生まれだから60代始めから70代後半、ということになるが、たとえば西武国分寺線「鷹の台」から「三鷹」まで歩き通している。最短でも11キロはある。石神井公園からくねくねと吉祥寺まで、というのは普通はバスで移動するコース。驚いたなあ。しかし、これを読むと無性に歩きたくなる。

古本屋の記述も多く、貴重な記録になっている。連載開始から20年だから、今はない店も多い。国立では、洋書の「西書店」(今はない)に必ず立ち寄り、店主とも言葉を交わす。「みちくさ」も好きな店だった。「谷川書店」の記述も笑ってしまう。「ブックセンターいとう」へもよく行ったようで、本の量の多さと質をほめている。ぼくも、この店の雰囲気(店主の眼を気にせず、ゆったり、じっくり。しかも定価より高い本というのがほとんどなかった)が好きで、なくなったことを惜しんでいる。番頭格の同年代の女性店員に声をかけられて、以後、いくたびに挨拶し会話を交わした。

武蔵小金井のなくなった店で店名は書いていないが、連雀通り沿い、市役所近くの「古い建物の洞窟のような雰囲気」とは、おそらくぼくも店名を忘れたが、古いビル(ふるさとキャラバンの事務所が入っていた)のことではないか。買ったとき、値段のシールをへらのようなもので剥がしてくれて「こうすると、きれいにはがれますよ」と言った記憶があるが定かではない。『全国古本屋地図』に記載のない店だった。

「中野の寺町」では新井薬師に続く「あいロード」で「荻窪古書店」に勤めていた若者に声をかけられた。今度、店を出したというから「案内処」だ。川村くん、このこと知っているだろうか。

関東興行バス「白61」で1時間の田中小実昌体験

本の雑誌」連載次回の準備。田中小実昌について研究中。思い立って2日、石神井へ。石神井公園の「ふるさと文化館」に田中小実昌書斎復元展示あり、と検索で知り出かけたが、あるのは分館。これは同じ公園内だが少し離れている。ようやくたどりつくも、昨年で展示は終わっていた。まったくの無駄足。そこで桜台へ移動。この近く「早宮」という町に暮らしていて(最寄り駅は氷川台)、引っ越してすぐ、練馬車庫から新宿西口行きバスに乗っている。田中小実昌体験としてこれに乗る。「白61」だ。1時間かけて新宿西口へ。これは楽しいバス旅だった。「目白駅前」から同じ黒いスーツの若い女性が7~8人乗り込んでくる。みな長い髪型で見分けがつかず、綺麗な女の子たち。そうか「日本女子大」の入学式か。

新宿西口終点までいかず、一つ手前「歌舞伎町」で下車。歌舞伎町はすごい人出。西武新宿線で帰還という一日だった。石神井公園内の茶店でラーメンを食べた。味は「普通」だが、これは雰囲気がありました。

鷹の台「小平中央公園」に止めていた自転車で国分寺「七七舎」。鈴木理生『幻の江戸百年』ちくまライブラリーを買う。持っている気がしたが、売ってしまった可能性もあり、いま読みたくて買う。「七七舎」には、レジに新しいバイトの若い女の子が入っていた。「OK」でビール(発泡酒金麦糖70%オフ)とウイスキーを買う。毎回、カードの有無を聞かれ、「持ってない」と答える。そのたび「面倒だなあ」と思う。作ってしまった方が面倒はないが、あまりにカードが増えすぎるのも。いやな渡世だなあ。

爪や髪はもう伸びなくていい

午前中に「赤旗」文学館へ行こう!「川端康成記念館」編を書く。400字で約4枚書けるのだが、いつも足りない。いくつも書き洩らしたことがあり、しかし、新聞で4枚書けるのは厚遇で、これでちゃんとした原稿を書くべきなのだ。反省。

午後「青札」展経由で西荻。盛林堂へ補充、先日の買取りと先月の岡崎棚の精算金を受け取る。急に、気分は金持ちに。音羽館へも寄って、新刊書の買取りを頼む。「ちょっとお茶でも」と誘われ、広瀬くんと「物豆奇」へ。不思議な板の看板が店内に飾ってあり、聞くと、隣の「のまど」とともに、ドラマ撮影に使われた由。いろいろ古本話に花咲かせる。書けないこともあるのなり。

移動の車中ではポケミスのロスマク『わが名はアーチャー』を。なんだか眠たくなってきた。遅くまで起きてて、早く起きたからだ。帰宅して父カレーを作る。トマトペーストを隠し味に、濃いめに煮込む。しかしあまり長時間は煮込まない。香りが飛んでしまうから。ご飯も米をとぎ、炊飯器にセットする。

「pen」最新号「北海道特集」が届く。佐藤泰志について、3ページ取材もして書いた。こういうクオリティマガジンに寄稿するのは久しぶり。まあ、立ち読みしてみてください。今月、月刊誌、新聞から書評依頼あり。なんとか生き延びております。

夜、伸びた爪を切る。面倒だなあ。もう伸びなくてもいいのだが。髪も髭もこれ以上伸びなくていい。垢も出なくていい。もう細胞もすっかり入れ替わっただろうから、もうこのまま朽ちていければいい。

『サラリーマン随筆』に驚くべき高値が!

昨日、もう5回めか6回目か、岡崎武志蔵書環境改善プロジェクトで、盛林堂小野+古ツアチームに来てもらう。今回が出した量としてはいちばん少なくて、400~500冊ぐらい。積みあがった本の山に隠れていた雑誌類(芸術新潮ほか)をどかっと出したがこれはほとんど値がつかないだろう。作業もあっというまに過ぎ、リビングで3人で雑談。世間話などしない。純潔「古本」話である。先日の「彩の国」古本まつりが、かつてない盛況で、史上最高の売り上げだった由。「日本の古本屋」の売上高がぐんぐんあがり、コロナ禍の意外な影響を思う。家にとじこもる古本者のガス抜きであろう。

リビングにあった司馬遼太郎福田定一名義『サラリーマン随筆』、驚くほどの高値で買い取ってくれる(400~500冊の買取価格よりはるかに高い)というので手放すことに。『ミコのカロリーブック』とともに岡崎古本話鉄板ネタの両巨頭で、ずいぶんネタにさせてもらったし、もういいかと。JR天満駅近くの古本屋店頭均一で100円で抜いたもので、その鉛筆書き値段もそのまま残してあった。

今回、本棚の移動等で気力を失い、まだ書斎エリアにわだかまっている本が多数ある。これを思い切って次回、処分すれば、かなりいい環境になりそう。また、買ってしまいそうですが。

誕生日と石原吉郎

3月28日朝、64回目の誕生日を迎える。さして感慨はない。夜、「四月と十月」144号完成、発送を半ば終えた牧野邸へ招かれ、小宴。牧野ジュニア、もうかたことながらよくしゃべるように。「おかぁさん」ほか、「まめ」「はくさい」「のり」「かんぱい」などの語が。さすが食いしん坊で飲んべの息子だけある。誕生日だと言ってあったので、ハッピーバースデイを歌い、ショートケーキにローソクたてて誕生会を開いてもらう。前に同様のことがあったのはいつかも思い出せない。「四月と十月」会計で、牧野邸宴会の常連Yさんから、焼酎をプレゼントされる。いい夜だった。

カバーに引っかき傷があったためか、思い切りやすかった多田茂治石原吉郎「昭和」の旅』(作品社)を飛び掛かるように読み始め、一気に通読。付箋だらけとなる。シベリア抑留の過酷から、帰国後の受難、詩の世界で名声を得てからも心は滅び、アルコール依存症になっていく。切々たる人生を著者は私情を交えず、取材と資料から起こしていく。シベリア帰りが「アカ」と敬遠され、就職も難しく、一族からも距離を置かれたなどという記述にハッとする。

帰国後、ようやく就いた職場で仲間の手助けをしようとしたところ激しく拒絶され、石原は帰宅後、服を着たまま風呂に飛び込み泣いた。翌日から出勤せず、酒を飲み続けたという。「身近な敵」の一撃だった。回りに自裁した人も多い。高名な詩人となった石原は日本現代詩人会の会長に就任。「権威の座に就いた石原のまわりには、名を売ろうとする女性詩人たちが群れ集うようになった」とある。

「精神の崩壊は肉体の死滅も招きやすい。精神的に高い生活をしていた者が、弱い肉体を持ちながら、体力のあった者より生きのびたケースは珍しくない」と、石原の愛読書だったフランクル『夜と霧』に関連づけながら著者はそう書く。ここも付箋。

付箋を貼ったところだけ抜き書きして、小さなノートを作ろうかと思い、100均で小さなノートを買ってくる。家じゅう、小さなノートだらけなのだが。

ドタバタと関西行脚

2泊3日で関西へ。「赤旗」文学館へ行こう!の取材で茨木市川端康成記念館」を訪問。京都へ。京都へ移転した母を見舞う。そして善行堂。このところの買取りに、ずいぶん拙著が紛れ込んでいることはツィッターで知っていた。なんだか自分の蔵書を見ているような本のチョイスだ。善行堂がぼくの本を集めて、20冊はあったか、サインを求められ喜んでイラストとともに入れる。読者がいることを確認できてうれしい。

2日とも宿泊は善行邸。夫人のRさんも昔から知っていて、善行堂への貢ぎ物であるいいお酒(バランタイン17、焼酎ダバダ)を飲みながら3人で遅くまで喋る。古本屋商売のむずかしさ、いまどういう本が動くか、これからは小さなロットの出版に商機ありなどなど。善行堂は喋りながらもネット注文に対応し、発送準備をしながらだから、店を閉めてからも仕事は続くと分る。お先に眠ったが、さすがにぐったり。

2日目は雨だったが奈良へ。40年ぶりの「志賀直哉記念館」に感動し、雨の奈良公園を抜け、奈良ホテルを見物し、古本屋を数軒まわる。昨日も今日も某所へ忘れ物。あわてて引き返し、歩数を増やす。頭の中に、いっぱいのことが渦巻くと、何か抜けるようだ。これはボケではなく、若い頃からそうなんだ。奈良の「柘榴ノ國」は相性ぴったりのいい古本屋で、ここでまとめて買うことに。これで「古通」一回分は埋まる。

3日目は新大阪発新幹線の時間まで、大阪をうろつく。阪神百貨店の古本市を覗き(数冊買う)上町台地の坂を上り下りし、織田作之助散歩を楽しむ。じつは初めてのエリアである。「生玉」さん、「高津」さんと織田作、上方落語崇徳院ほか)ゆかりの地を訪ね、けっきょく3日間、ずいぶんよく歩いた。つい、禁断のアイスを食べてしまう。「厚生書店」へは行けず。もう力が残っていなかった。あ、「ますく堂」もごめんなさい。これも「古通」一回分と、ばらして「オカタケな日々」にも書けそう。つねに「書く」ことに頭が行くのは商売柄とはいえ、煩悩である。

帰ってパソコンを開き、所用に対応していると、デスクのライトがポンと消えた。コードはつながっているのでツイン電球の寿命だ。見ると、購入日が書かれていて「2012年3月11日」とある。丸々10年使ったんだ。なんという寿命の長さよ。