黄色いカレー、無言館展、ジャズ喫茶。新潟にて

20日、快晴。大人の休日4回目を使って新潟へ。いつも通りレンタサイクルを使い、バスセンター伝説の「黄色いカレー」を食す。続いて「新潟市美術館」へ。常設展は展示替えで見られなかったが、「無言館」展を見る。思いがけず、これがよかった。技術的に言えばどうこう、というんだろうが、問題なく胸に迫り、真剣に絵と向き合う。上田の「信濃デッサン館」「無言館」へも行きたい。

古町を駆け抜け、老舗ジャズ喫茶「スワン」でまったり。この時間もよかった。新潟へは何度も来ているので、これでもう十分。明るいうちに帰ることに。駅南の「ブ」で片岡義男を一冊買って、ビール、サンドイッチを車内に持ち込み、大宮まで飲み、食べ、読む。このことは春陽堂ウェブ連載「オカタケな日々」にくわしく書きます。次回から、「大人の休日」と美術館をからめることにしよう。

本日は仕事をします。本当です。阪神優勝……楽勝でしょう。

いわき「阿武隈書房」瞬間の滞在

18日(日)、常磐線特急「ひたち・いわき」座席指定を取って「大人の休日」を使い、いわきへ。自由席がないから指定を取ったが、車内がらがらだ。とくに「勝田」でたくさん降りて、あとは数人の乗車。11時半ごろ着。「阿武隈書房」探訪が目的だったが、土日は1時開店と店の前まで来て知る。このあと「いわき」から「郡山」へ磐越東線に完乗するのが第二の目的で、それが1時21分発。これを逃がすと次が2時間半待ち。さあ困った。けっきょく、開店前に店の前に立ち、5分だけ早く開けてもらい10分後には2冊買って駅へ走っていた。10分の滞在は失礼だが、けっこう多くのことを見て取れた。いやあ、いい店です。くわしくは「古通」に。

磐越東線1時間半は山のなか、また町を過ぎての旅路で、すっかり満喫。遅い桜がちらほら。いやあ、たまりませんな、ローカル線の風情は。郡山で市立美術館探訪と思っていたが、バスの本数が少なく、うまくスケジュールがかみあわず断念。自由席を捕まえてさっさと明るいうちに帰還(磁気きっぷ一枚で、自由に新幹線も乗り降りできる)。「王将」で一人打ち上げ。「大人の休日」4日連続も、以前は使い倒していたが、もうあんまり無理はしない。今日は締め切りと休養を兼ね、一日パス、する。

楠淳生アナに驚嘆!

そうか阪神・ヤクルト、雨で流れたか。いや、このところ、続けて全試合を観戦。自分でも驚いている。野球観戦の楽しさ、実感する。16日のヤクルト戦、「スカイA」で見たが、実況の楠淳生アナのみごとなさばきに感心する。もと朝日放送のアナで、現在フリーのようだが、とにかく知識が豊富。球種の見極めから、各選手の出身校データや過去の活躍などすべて頭に入り、出し入れできる。ちょっとびっくり。阪神のリリーフ岩崎が無口そうだが、じつはよくしゃべる。無口そうでよく喋る、同じ静岡出身と言えば〇〇、みたいな。こりゃ、解説はいりません。

白水社のPR誌「白水社の本棚」が判型含めリニューアル。引き続き、文学ネタのコラム「愛書狂」を連載。巻頭に置かれている。今度は署名入り。ひゃあ、なんかカッコいいですね。先週「サンデー」書評は松家仁之『泡』をメインに書く。締め切りラッシュは過ぎ去り、また、ぽつぽつと仕事をこなすなり。

片岡義男「吹いていく風のバラッド」にうなる

明け方、何度か目覚めて寝返りをうち、また眠る。遠い朝が波をうつように、静かに押し寄せくつろがせる。こんな朝が何度もあった。いつか目覚めない朝もあるだろう。そのまま死の彼岸に引っ張り込まれて、ジ・エンドである。それは、そんなに怖くない。

昨日は積み残しも含め、3本、原稿を書く。しかしちゃんと阪神・広島戦を見た。中野と佐藤というルーキー2人がお立ち台に。まだあどけなく、それでも頼もしい戦力だ。こんな日が来るとは。今年の阪神、ひょっとして(って、何回それであんさん、裏切られましたんや)。

北村薫宮部みゆき編『名短篇ほりだしもの』(ちくま文庫)を読んでいて、片岡義男「吹いていく風のバラッド」の「12」「16」を読んでうなる。バイクを大衆食堂に止めて、ご飯だけを注文し、それを持ってまたバイクを走らせる。このあと、ご飯はどうなるか。素晴らしい発想と描写。片岡の赤背角川文庫は20冊は持っていたが、ぜんぶ処分してしまった。晶文社の2冊本の短編全集も手放したなあ。また、どこかで取り戻そう。石川桂郎『剃刀日記』もいい。これは元本を持っているはずだが、あるいは処分してしまったか。まあ、いろんなこと、後で気づいて失敗もあるが仕方ない。志賀直哉からは「イヅク川」という夢を描いた小品が選ばれている。知らなかった。先日、ドラマ化された「流行感冒」は、新潮文庫の『小僧の神様/城の崎にて』(カバーは熊谷守一)に入っているはずだし、「新潮講座」のテキストで使ったから、これは間違いなくあるはずだが、これも見当たらない。北村・宮部の『名短篇』シリーズ(3冊)はいい。

誤記にめげる

昨日は「潮」の『青い孤島』、今日は「北海道新聞」の『キツネ目』書評を書いて送付。「高校教育」もさきほど送付。まだ「サンデー毎日」が残っているが、ちょっと頭をクールダウン。「古通」今月号が届き、自分の連載をチェックしたら、誤植というか誤記が一か所。「九大前で」は「九大前や」の間違い。もしくは「九大前で」そのものの消し忘れ。また、読者からおしかりの手紙が届くだろう。最後のところ、はみ出したのを手を入れた際、削除し忘れたのだろう。と書いても、「古通」の読者は、私のブログなんか読んでいないからなあ。一瞬だが死にたくなり、胃が痛くなる。

佐野洋子『でもいいの』ちくま文庫を読んでいて、あれえ、読んだことあるぞと思ったら、新潮文庫『ラブ・イズ・ザ・ベスト』を改題したもの。しかし、本当に、素晴らしい文章だ。これだけのものが書けたら、注文が殺到するのも当然だ。

底抜けの50円均一が楽しかった

本の雑誌」連載、次号から新たに「田中小実昌」編に突入、第一回目を書いて送付。コミさんとバスの東京、というのがテーマ。毎回、コミさんが乗った路線バスに乗るつもり。第一回は練馬車庫から新宿西口まで関東興行バス「白61」に乗った。浅川マキのときは情報を濃縮して押し込んだが、小実昌編は、もう少しゆったりやりたい。

今週は毎日、2本ずつぐらい締め切りがある、集中の週。「潮」「北海道新聞」からも書評依頼があったので。がんばります。

ベイスターズ阪神戦3タテ。ばんざーい! しかし、まだ戦力が揃わぬチームだから気の毒だ。中野拓夢がレギュラーで先発し、大活躍。溌溂としていて、見るのが楽しい。

西部古書会館「均一祭」最終日(200円、100円と落ちていって)50円に行く。昼前に着いたら、もう大量に戦利品をカゴに入れている人多数。そうか最終日こそ、開始時間から行くべきなのか。それでも12冊ぐらい買ったか。600円。昼飯代の方が高い。通路の向こうでおじさんが「50円になったら違うよなあ、50円なら買える。50円」と「50円」を10回ぐらい連打していた。そばに寄って抱きしめて「もう、わかったから、ね。そうだね、本当だね」と言ってあげたくなった。

30歳ぐらいか、ぼくからした若者の男性が、カゴに庄野潤三を2冊、ほか秋山駿、辻邦生などを入れていた。「そうか、そうか、がんばっているなあ。いいラインだよ」と声をかけそうになる。ちょっと危ないなあ。持っている気もしたが、真鍋博装幀の「現代日本詩集」の『蒼白な紀行 村野四郎』を買い、帰りに電車で読む。あんまりいいのでびっくりする。「秋」はこんな詩。

「墓地うらの詩人は/街で熱く酔つ払つてきては/よく ここを通り抜けた/そのたび 彼は/野ぎくの花などを踏んづけては/永遠の思いにひたりたいとねがつたが/そんな濃艶な秋は もう/このへんになかつた//そこらに見知しらぬ女がいて/迫力のない絵を描いていた」

「そのたび彼は/野ぎくの花などを踏んづけては」というところがいいんだなあ。不可避的にそうなったのだとしても、「花などを踏んづけて」というところに気持ちが入っている。よく分る。

だいたいこのシリーズの詩集はみんないいんだ。軽さも薄さも大きさも簡易フランス装もいい。なんだ、べた褒めじゃないか。

6月刊、ぼくが編と解説を担当するちくま文庫野呂邦暢『愛についてのデッサン +短編』(仮題)が担当編集者によりツィッターで公になり、久しぶりに興奮しております。野呂にちゃんと値段をつけて、固めて置いてある古本屋はいい店の基準になる。京都「善行堂」にはありますよ。