セルジュ・レジアニがプレヴェールの朗読

このところ、夜中に何度か目がさめるのに、今朝は……なんて、小林麻美なら意味があるけど、ぼくがそんなことを書いても仕方がない。しかし、なぜ小林麻美が出てきたか。朝からレッド・ガーランドを聴く。

とにかく、本が読めて仕方がない。怒涛のごとき読書生活である。これで、何も書かなくてよくて、読むだけで課金されるシステムが開発されれば、ぼくは残りの人生、読むだけで生きていける。しかし、やっぱり物足りない。何か書きたくなるだろう。書くことが、読むことと不可分につながっていて(原稿のネタになりそう、というスケベ心もある)、両輪だなあ、とも思うのだ。

図書館の廃棄本でもらってきた岩田宏『渡り歩き』草思社を、PPカバーを引っぺがして、裸本にして読む(この方がいい)。「最終便」という文章に、イタリア生まれでフランス映画にたくさんわき役で出演したセルジュ・レジアニという俳優が、プレヴェールを朗読したレコードが出ていて、という個所にビビっと感電する。欲しいなあ。これは「オカタケな日々」向きのネタだとメモ。そっちに書きます。次回2回分のイラストも描く。「大阪の宿」と「ここに泉あり」だ。

本の整理で、『上京する文學』(ちくま文庫)ほかをカバーデザインしてくれた倉地亜紀子さんに、見つかったらあげますと言っていた「コヨーテ」の「ジェリー・ロペス」特集号が出てきたけど、見るとあちこち線を引いているんだなあ。線なしのを見つけて、送ることにしよう、っていつの話しになるか。倉地さん、ごめんなさい。「ジェリー・ロペス」については、『明日咲く言葉の種をまこう』(春陽堂書店)で書いた。ちゃっかり、2冊も宣伝して。