ふらふら生きている

9月に入り、ようやく少し涼しくなった感じか。地下の室温26℃台に下がり、クーラーの必要なし。いくつか仕事の依頼あり(「北海道新聞」「週刊現代」「ビッグイシュー」など)、いくつか締め切りをこなす。某社から出る阿佐ヶ谷本のイラストの依頼があり、取り組むがどうもうまくいかず、やっぱり毎日のように筆を動かして描いている人のようにはいかない。タッチもバラバラ。それでも何とか仕上げて送付。

9月から、ようやく講座や講演が再開。「新潮講座」も、この先特別なことがないかぎり、9月末、大岡昇平『武蔵野夫人』の舞台を歩く。年二回、もう4度はやったか、新宿区の高齢者相手の講演(戸山学習センター)、話の準備をする。「読書」がテーマで、本の話もするが、ほぼ全員が私より年上なので、昭和の懐かしい話を折り込みたい。最近読んだ本の話も。これで2時間(休憩、質問を除けば1時間半ぐらい)を持たせる。困るのは、担当者が、講演の始まる前と休憩時、ずっとくっついて喋りかけてくることで、それがおもてなしと考えていらっしゃるようだが、じつは一言も口をきく元気がない。一人で、そっとしておいて欲しいのだが、それを言っていいのかどうか。じつに細かいことを気に病みながら、ふらふら生きている。友川かずきの剛毅、自由さをうらやましいと思う。

ギターの弦を、2,3年ぶりに張り替える。40年近く連れ添ったヤマハのギターもボロボロだ。一度もメンテナンスもしていないので廃品同然。頭を去らないよしなしごとを抱えつつ、仕事の本を含め、あれこれ、すさまじく読んでいる。読書マシーンだ。