野呂邦暢読書会をぶじ終える。

遊びや交遊も含めて、頭に渦巻く12月だ。慎重に生きよう。あわてず、一つずつ。

4日(土)は16時「新潮講座」。万全の準備をしてきた「野呂邦暢読書会」だ。13名の参加とあって、正直「読書会」は成立しにくい。担当のMさんからも、参加者から「読書会」とあるが、意見を言うのが苦手でどうしたらいいかの声ありと聞き、ほとんどを私がしゃべり、最後に常連の数名に意見を聞くというかたちにした。ほかに意見はないかというとお二人が手を挙げてくださる。最後に、目のまえに座った男性がおずおずと手を挙げ、「じつは私、諫早(野呂の故郷)の人間で、かつて図書館に勤めておりまして、野呂の読書会を地元で」うんぬんといわれる。「えええええ」、このために諫早から! それを最初に聞いていたらプレッシャーがかかるところだった。

有志(少人数)で打ち上げ。その時、諫早から来られた生徒さんにいろいろ聞く。「諫早通信」をずっと編集してこられて今は退陣された、野呂の高校の先輩でもあった西村房子さん(諫早でお世話になった)がどうされているか聞いた。かなりご高齢のはず。近況が聞けてよかった。「また、諫早に呼んでください。野呂のことなら、いくらでもしゃべりますので」とお願いしておく。

次回「新潮講座」はオカタケさんぽ「新潮文庫を歩く」で、堀江敏幸『いつか王子駅で』をテキストに都電荒川線に乗る。王子から三ノ輪まで。「あらかわ遊園」、荒川二丁目「吉村昭文学館」を見て、三ノ輪「圓通寺」で吉展ちゃん像と彰義隊の墓を。三ノ輪商店街で打ち上げ。「宮橋」という古本屋が開いてたらそこも、という段取り。梶原電停「梶原書店」が閉店したのが痛い。3月19日午後2時から。興味のある方は「新潮講座」窓口まで。この回で「新潮講座」は終了。最後のおつとめとなる。何年やったのか、4年か5年か。

小山「古本屋ツアー・イン・ジャパン」力也さんと熊本へ行き、ついでにフェリーに乗ったことは『ドクホリディが暗誦するハムレット』に書いた。そのとき、諫早駅で乗り換えたのだが、駅がきれいになり、いずれ新幹線が通ると聞いていた。そのことも、諫早からの生徒さんにお尋ねすると、しかしそのため長崎本線が廃止となる由。新幹線になっても長崎へ行くのに10数分しか早くならず、しかも料金はぐっと上がる。あんまりいいことない。大村湾を臨みつつ揺れらる電車の風情はなくなってしまう。これ、酔って聞いていたので、正確な情報と違っていたら鉄オタの方、ごめんなさい。

「古書通信」連載、浅草橋「古書みつけ」について書いて送付。