されど私の人生は

銀河チャンネルで始まった、2020年の大河「麒麟がくる」(長谷川博己明智光秀)を録画して見始める。リアルタイムではスルー。こうした歴史ものを見るのに、寝転がっているソファの背の本棚に常備する高校の日本史教科書(山川出版社)を参照するが、明智光秀は、織田信長の記述の最後に「家臣の明智光秀におそわれて敗死した(本能寺の変)」とあるのみ。簡略すぎるよ。もっとも原始から現代まで一冊で扱うには、こんなものか。図版が多く、これはこれで参考になるのだが。

図書館で小学館「日本古典文学全集」の『近世俳句俳文集』を借りてくる。ここに3ページほどだが、桜井吏登の記述と代表句あり。大岡信はこれを参考書に『折々の歌』当該原稿を書いたのではないか。

昼はそばをゆでる。二人前一パックで、二人前をぺろりと食べてしまう。この「ぺろり」はつくづく秀逸な擬態語なり。

阪神、打線の低迷つづく。昨日の横浜戦、8回まで零封で1点入れられ、西勇を見殺しじゃないかと腹立ってみるのを止めたら、逆転勝ちしていた。それでも2点。全打席全員がバントに盗塁と悪送球をからめてでも2点ぐらいは入るのじゃないか。

今週、来週と予定された原稿締め切りは1本と5月から春陽堂ウェブで始まる読書コラム2本(一か月分)のみ。よくこれで食えていけているなあ、と思う。食えていないのかもしれない、錯覚か。