高校時代の真ん中は。

高校時代の同級生で「拓郎」つながりの白石(克明な記憶力)といろいろ話していて、驚いたり、思い出したり。いま、原稿で「京阪」線と書くと校正で「京阪本線」と直される。これは昔からそうだったのか。少なくとも一度も口にしたことはない。

白石とは高一、三と同じクラスで、一年のときは交流がなかった。なぜだろうと考えると、いろんなところから集まってくる高校では、当初、同じ中学、同じ通学沿線の者ととりあえずつながりを持つ。ぼくは京阪本線。白石は旧片町線。「おれが住道から乗るやろ。鴫野でSやTがのってくるんや」と言っていた。ぼくも京阪本線沿線の通学者と顔見知りになり話すようになる。三年間、べったり一緒だったIは萱島駅

そのうち、学年が進んでクラス替えが行われて、新しい人間関係が作られる。三年で再会した白石(二年のとき、一組というあきらかに勉強のできるやつを隔離して、われわれ黴菌がつかないようにした特進クラスへ。のち脱落したか)と、何がきっかけで仲良くなったか。これも白石なら答えてくれるだろう。ぼくは三年間、ユーミンの「最後の春休み」に出てくる「目立たなかった私となんて 交わした言葉数えるほど」という主人公の女の子みたいな男子であった。本が好き、文章を書くのが好きという、それがどうしたと言われそうな心細い「奥の細道」を選んで歩いていくことになる。

2006年に一緒に行った「つま恋」も、「岡崎と電話で喋っていて、『行かへんか?』と誘われたんや」と白石に言われビックリ。「え、俺から誘ったの?」「そうや」。「ただ、チケットをよう取らんから頼むわって言われた(笑)」と、それも忘れていた。よくぞ、行ったものだと思うし、人生の宝となった。もう、このあと残り人生、どうしてもとか、あれだけはということはない。昔のことを思い出しながら、涼しい秋を待ちたい。

ツィッターにも上げた大阪の受賞もの大人気喫茶「ビクター」は正確には天四(「天満」駅に近い)。1967年の創業、というから子供の頃に行ったと思っていたが勘違い。「喫茶のすたるじあ」というサイトで「ロフト構造の大箱純喫茶」とタイトルが。なるほどそういえばいいのか。帰宅してメールを返信していたら、某社編集者が食いつき「私も大阪出張があったら、よく『ビクター』へ行きます」とのこと。なんか、グレードが上がってきた。