今年もよろしく、と爪痕を残す。

3年ぶりぐらいになるのか、本の家に住む知人宅リビングで、映像を見ながら飲み食いし談笑する集まり「ネギシアター」(これはぼくの命名による)を少人数で本日再開。今回は山田太一を偲ぶ会となる。

家に戻ると、なぜか岩波の雑誌「世界」が届いていて、そうか渡辺「こんな夜更けにバナナかよ」一史さんが、ここに山田太一について寄稿、そのタイトル「ぼくたちは山田太一でできている」が、ぼくの文章からの借用でありその許可願いを昨年、メールで知らされていたが、こういうかたちになったのであった。律儀な人である。ぼくは、じつは、そんなタイトルの文章を書いたことを忘れていたのである。担当編集者と、渡辺さんからの丁寧な礼状つきにいたみいる。よって本日は山田太一記念日となる。

帰宅して録画した「探偵ナイトスクープ!」を見ていたら、珍しく携帯に着信。出ると高校時代の友人からで、「だいじょうぶか?」と言う。「なにが?」「いや、ブログをずっと更新してないから、何かあったかと心配してたんや」という。そうかそうか。「いや、別に理由はなくて、面倒で放っておいただけや」と答える。実際そうなのだ。原稿の締め切りがあるときは、パソコンを立ち上げ、キーを叩く助走として「ブログ」を書くのが習慣だったが、年末年始とそれが途切れ、放置してあった。

しかし、そうして心配してくれる人もいるのだと、こうして新年一発目を記しておこう。今朝、地下の書庫へ降りたら、蔵書がすべて盗み取られ、本棚や床がすっからかんになった夢を見た。驚きもしたが、反応は「わあ、やられたなあ」とむしろ爽快感が先に立ち、このまま警察には連絡しないでおこうと思い、目が覚めた。このところ、また本が増えすぎて、日々の生活に支障が出始めているのだった。

それなのに、今日は西部古書会館展の2日目に、のっそりと出かけ、また買ってしまった。知らない著者の句集、下野博志『海』を買ったのは、丸谷才一を読み直していて、そこに紹介された飴山實の句に感心したからだ。飴山の句集はないかと、これが今日の照準だったが、それはなく、とにかく何か一冊句集を買おうと思ったのだった。ほか、全部で5冊と、ソニー・ロリンズのCD1枚。中里恒子『水鏡』を100円で買えたのはよかった。

「ネギシアター」で、ぼくの知る知人男性が、文春砲で匿名ながら餌食にされたと知る。情報通の「シアター」主人は、ほんとうになんでも知っている。ぼくの世間的知識の数千倍。じつは明日が休日であることさえ、ぼくは知らなかった。