ずるずるべったりの毎日が続くので、新年に改まる気分はだんだん薄れてきた。いつもと同じ大みそか、そして元旦である。30日は、春のオカタケ散歩の下見で小伝馬町から人形町、水天宮から日本橋へと江戸、明治の東京をあるく。「望星」のI編集長に同行ねがう。谷崎潤一郎「少年」がテキスト。東京駅「ライオン」で打ち上げ。ビールがうまい。行きはらくらく(年末年始、東京は観光地以外空いている)グリーン車、帰りは普通車で。グリーンは、来年春まで無料だが、有料になるとたとえば国立から東京駅まで1000円+となる(モバイルなら750円)。ちょっとなあ。
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大晦日は早めに風呂に入り、そばを食い、紅白は見ないのでNHKFMで「ジャパンジャズアーカイヴス」を聴く。秋吉敏子、渡辺貞夫、北村英二がNHKに残した音源を、当人にインタビューしながら聴くという試み。半七、正岡子規を読みながらこれを聴く。メモしておけばよかったが、渡辺貞夫、若き日、横浜の黒人米兵が集まる「ハーレム」というクラブで演奏。黒人たちが踊り乱舞し、途中から渡辺はサックスを吹きながらみなを引き連れ店の外へ。向いのクラブが白人専用。その店の前で演奏していると、白人客たちがぞろぞろ出てくる。その客を連れて、また「ハーレム」へ、というのを毎夜、繰りかえした。
有楽町駅前のジャズ喫茶「コンボ」は、ジャズミュージシャンたちのたまり場。貴重な新譜はここでしかきけない。だから毎夜ここへ。10人も入ればいっぱいの店で、入れないときは店の外で漏れ出る音を聞いた。こういうアナログな旧世界がパラダイスのように思えてくるのだった。
漫画評論の村上知彦さんが亡くなって、ずいぶん昔「オブラ」という雑誌で、ライターとともに編集も読書ページで請負い、原稿依頼のため村上さんに電話したことがある。それからずいぶん経って、「ちんき堂」か「トンカ」で客としている村上さんを発見、おずおずと名乗り出ると認識されていて、ちょうど持っていたちくま文庫の拙著をお渡しした。袖すりあった仲の人も多いが、その袖がほころび始めている。