死を忌避しない覚悟を

今朝の朝日朝刊に、坪内祐三さん死去の記事が写真入りで出た。13日深夜に近親の編集者から、こちらのメールに一報が入ったときは、にわかに信じがたい気持ちであった。翌日、つまり昨日になって、別の知人より「もうご承知かと思いますが」と、同じ内容のメールが入り、もう動かせない事実と分かった。くわしいことはまだわからない。「心不全」が死因、というが、死はみんな心不全だから。

この10年ほどは、会ったのは数回。とても親しくしていた、とは言えない。しかし、ずっと互いの著書のやり取りは続いていて、坪内さんなら、送るべき人は山ほどあろうから、私は送り先からいつはずされても当然だと思いつつ、30年近く前の、一つの大切な記憶があって、やっぱりあの最初の出会いがあったから、なんとなく、ずっと同じ気持ちを抱いていたんだと私は確信している。

私が、坪内さんの支持、業績、人気に足元にも及ばないことは、指摘されるまでもなく、自分がいちばんよく分かっている。それでも「あの日」のことは、おそらく同じ気持ちだったんだと思い、ここに冥福をお祈りする次第である。「あの日」のことは、これまで何度も書いたり、喋ったりしてきたからここでは繰り返さない。通夜や葬式に出向くことはないだろう。一人、静かに、昨夜日付が変わるころ、お酒を飲みながら偲び、それが私の追悼だ。田村治芳さん、黒岩比佐子さんが先に早く逝き、そして坪内さん。持病が緩やかに悪化し、もういつその日が自分に来てもおかしくない。覚悟はできている。