昭和十年代、秋田県湯沢のアルバム

夏のきざしあり。日が落ちると涼しくなる。書くことがない、存在した。

あいかわらず、よく読み、よく聴き、よく見ている。お隣の実直なサラリーマンと道で挨拶。「ステイホームですか」「そうなんです。やることなくて」「ぼくは前からステイホームで、一緒です」と言うと笑っていた。ぼくの仕事のことを知っている方。

『読書の腕前』に高校時代に使っていた国語の教科書をもう一度見たい、というようなことを書いたら、香川県の読者が、自分が使っていた国語の教科書ですと、高一から三まで三冊送ってくださった。2つ下の方らしい。すぐお礼の返事を書く。一日伸ばせば、だんだん手紙を書くのがおっくうになることを知っている。送られた教科書は、ところどころ使った跡があるが、わりあいきれい。ぼくの教科書は書き込み、落書きだらけだった。国語の授業はノートを作らず、教科書に書き込んでいたのだ。

昔買った個人のアルバムが出てきて、写されたもの「入道埼燈台」「岩崎橋」ほかから、秋田、それも湯沢の人と推測をつける。祭りの写真があって、法被にも「湯沢柳町」とある。櫓に子どもが載った写真は「大名祭り」だと分かる。今でも湯沢で続く行事だ。岩崎橋はコンクリの立派な橋で、昭和十年の建設。出征兵士を見送る写真があるところから、昭和十年代後半のものではないか。このアルバムを持って、秋田県の湯沢へ行きたい。何か、分かるかもしれない。コロナ禍が終息して、「大人の休日」を使って行こう。