上弦の月だったけ ひさしぶりだね

母親から電話あり、「何か小説が読みたいんやけどな、送ってくれる?」と。いま、我が蔵書に母親が読むような本はない。「ブ」を二軒はしごして、なんとか10冊揃え、宅急便で送る。ついでに、自分用に池波「梅安」(講談社文庫)を3冊買う。これは楽しみ。

もう一人の母、つまり義母が数日前に他界。妻は連日、そのための外出。晩御飯は父が作る。昨日はカレー、今日は豚肉生姜焼きと麻婆豆腐。じつはぼく、たいがいのことはできるのです。明日はミックスフライにしようか。

ある原稿依頼(というかインタビュー取材)で、映画について話す必要があり、それには話者が一枚、絵を描くことになっている。それを今日、仕上げる。ぼくにとっては、文章を書くより楽だ。トークの相手や司会、対談も営業品目で、自分では得意だと思ってはいるが、準備が大変で、やっぱり気が張る。絵を描く仕事がこれから増えると助かるが。

「路線バス旅」またまたまたの再放送で初回をまた見る。中島史恵がマドンナ。横浜から富山へ。まだ「バス旅」のルールが固まっていなくて、しかも太川が緩い。タクシーを使ったり、出会った人に車で送ってもらったり、2時間3時間のロスを、どうにかして埋めようとせず観光したり、終点までバスに乗らず、気まぐれに途中下車したり。これが、進むにつれどんどん過酷になっていく。タイガー食堂で、蛭子が「おすすめ」と言われたソースかつ丼をいったん注文し、やっぱりうな重、と注文を取り消すあたり快調だ。しかもうな重が1200いくらか。「上」クラスの立派なもの。これが2007年の放送か。今ならその倍以上するだろう。15年前に、もっとうな重を食べておくのだった。

このところ、毎晩のように「旅の宿」をギターで弾いて歌っている。ハンマリング、プリングのテクニックがさえわたる。「上弦の月だったっけ ひさしぶりだね 月見るなんて」(岡本おさみ)なんて口語調の歌詞は画期であった。