あそこにもアジサイが

夏至という何か大きな曲り角(凡二)

日中が一番長くなる。何かの拍子に4時台に目覚めて、外を見たらもう明るいのに驚く。銭湯回数券を使って、梅雨の合間の晴れを狙って立川「松見湯」へ。リニューアルされてまだそんなに経っていない、きれいな銭湯。これで3度目か。露天風呂あり。銭湯回数券も残すところ一枚。

夕風涼しく、緑の遊歩道を走って帰る。あちこちの家の垣根からアジサイが咲きこぼれているのを見る。こんなにたくさん、アジサイが植えられているのか。それを毎年、この時期に気づいて驚くのだった。俳人なら、これをうまく句にするだろう。

紫陽花の色の揃はぬ盛りかな(蟻十)

本はあいからずよく読んでいる。方々にノートや手帳が分散し、一冊にまとめたほうがいいと思う。使えなければ、メモを取った意味がないだろう。しかし手間だな。ネタに使えそうなもののみ残すとする。古本市で買った、古い未使用の日記帳をまとめ用に使おう。思うところ多く、全般的に低調である。音楽も聞かない。本だけ読む。

神戸の「女子の古本屋」店主、トンカさんが早世されたと人づてに聞く。ショック。多くのファンを持つ店だった。かける感傷的な言葉も見当たらない。ただ口惜しい。まったく、なんということだろう。快活、真摯な笑顔を思い出す。ただただご冥福をお祈りするばかり。先日、善行堂がちらりとトンカさんのことを書いていたが、そういうことだったんだ。善行堂は大人である。