本は読まないで喫茶店

驚いたなあ、雪ですよ。しかも、けっこう降っている。

国立旭通りに、かつてジャズ喫茶があって、もと村上春樹の下で働いていた男性がやっていたが閉めてしまった。店名、なんだっけ。昨年、亀和田さんとしゃべっているとき、この店の話が出て、そのあと別の人が始めた喫茶「大澤」は喫煙可(紙たばこ、席で吸える)と聞いていた。昨年末だったか、ちょっと行ってみた。内装は同じはずだが、こんなだったか、前の店と雰囲気はかなり違う。けっこう席が埋まっていて、全員男性で、煙草を吸っている。煙草を吸いにくる店だ。コーヒーは550円。

おや?と思ったのは「セルフサービス」と書かれていたこと。個人店で珍しいな。どうも老店主が少しおみ足が悪いらしい。負担をかけないため、水は自分で入れて、飲み終わったら、カップも自分で下げる。いや、まったく問題ないです。はい、やりますやります。30分ほどいたが、ずっとスマホに食いついている客2人。珍しくもない光景だ。本を読む人が2人。パソコンを出している人はなし。常連ばかりらしく、退出する客に老店主が声をかけ、しばらくしゃべっていた。いい店ですよ。

そこで思い出したのが、80年代か、大阪アメリカ村の「天牛書店」で古本を買ったあと、コーヒーが飲みたくなり、すぐ近くの通りにあった喫茶店に入った。そこで、買ったばかりの古本を出して読もうとしたら、女性店主に注意された。「うちは、そういう店じゃないので、本は読まないで」と言うのだ。「ええええええ!」と驚愕した。参考書とノートを開いて受験勉強をすることに待ったをかける店はあろうが、本を読むのも禁止、という喫茶店は珍しい。ズズズとコーヒーをすすって、わずか10分ほどで店を出た。おそらく、近隣の勤め人がコーヒーを飲んでくつろぐのはよし。それ以外はダメ、ということなのか。それなら「読書禁止」とドアに貼っておけよと小さく憤慨したのを思い出した。

総集編5回で、再放送の大河「篤姫」を4回まで見る。おもしろいじゃないの。ヒロインの女優の名が思い出せず、やっと「宮崎あおい」だとわかる。最近、見ないんじゃない。ぽろぽろと追加で届く年賀状に、出していない人へはなるべく返事を出す。

川越で酔っ払って夜、レッドアロー号で帰還。

4日、夕に川越で岩田君と新年会。それにあわせて西武新宿線高田馬場経由、「サンデー」で今年初の本選び。高田馬場「吉田や」で天ぷらそば。夜は立ち食い寿司となる珍しい店。「ブ」でミステリを1冊。サンデーで本選び終え、飯田橋乗り換え有楽町線乗り入れ東上線(こういう移動はたいへん新鮮)で川越駅。日差しがまぶしい東上線だった。川越駅本川越駅をつなぐクレアモール新年の雑踏をくぐり抜け、本川越「ブ」で岩田君と待ち合わせ。この日4日まで本は20パーセントオフセール。

昨年末に目をつけていた『ヤング・ギター・クロニクル 吉田拓郎』(2007)税込み1540円を2割引きで。居酒屋で祝杯をあげ、カラオケ3時間パック(割引券を使って一人770円くらいとバカ安)。岩田君は英語の歌(上手い)と戦前戦後の泥臭い歌謡曲、という変な取り合わせの選曲。「もう泥臭いのはいいよ」と告げると、「おかざきさんだって『俵星玄播』なんか唄ったじゃないですか」と反論される。

カラオケ店の空調が悪いと、ぼくは咳が出る。ここは空調が壊れていて、ひどく咳しながら拓郎「流星」を唄うなり(バカだ)。拓郎仲間の「白い扉」髙橋秀幸氏が、「おかざきさんみたいに、本をたくさん読んでる人が、拓郎好きって(ちょっと変、不可解)」と会うたびに言う。そんなことはない。哲学者や文学者も恋をする。それとおんなじだよ、と答える。

21時前に本川越駅改札前で解散。10数分後に西武新宿線普通が出るのでそれに乗るつもりだったが、21時ジャストに特急レッドアロー小江戸号が出るとしり、ホーム券売機で東村山までの特急券を購入。400円。所要時間は19分。約30分かかる普通より10分早まるだけだったが、快適極まる車中(ガラガラ)であった。帰りはこの手があるな、と思う一方、400円なら20パーセントオフの「ブ」セールで110円本が4冊買えると貧乏性が首をもたげる。この先、知らなかった血縁の大金持ちが死んで遺産はころがり億万長者になっても、この貧乏性は抜けぬと思う。しかし、川越で酔っ払って帰り、このレッドアロー号はありだな。値打ちありだな。記念にスケジュール帳に特急券を張り付けておく。

路上に落ちているレシートで

おだやかでぐうたらした正月三が日をすごす。つまりいつもと一緒だ。届いた年賀状は100枚くらいか。

仕事始めは、「中央公論」毎年恒例の「新書大賞」アンケート。昨年発刊された新書のうちから5冊を選び順位をつけ、コメントを書く。けっこう時間がかかる。ギャラは図書カード。

ずっと昨年末から、救い出したSONYラジカセでFM(NHK)を聞いているが、2日、3日と「渋谷毅さんと一緒に」(だったか)という、ただ渋谷毅さんがピアノを弾く30分番組があって、これが私へのお年玉だろう。同じ渋谷ファンの岩田君にメールすると「いや、ここ何年か毎年やっているんです」という。あわてて、カセットテープに2日とも録音する。カセットテープに録音するというアナログ作業に不安があったが、ちゃんと録れていた。

テレビもだらだら録画したのを見ていたが、秀逸はテレ東「下を向いて歩こう ポイ捨てレシート生活」。2組に分かれた4人が、屑籠を背負い、街を歩きながら「ポイ捨てしたレシート」を拾い、そこに書かれたものだけで生活する(コンビニ、吉野家など)。企画先行の出来高不明の番組だが、これが、なんというか、おもしろかった。くわしくは「オカタケな日々」に書くつもり。とにかく明るい安村と組んだ大家志津香という聞いたこともない見たこともない女性タレント(たいていAKB出身なんだな、これが)が、まるでレシートを拾うために生まれ、矯正訓練されたような働きを見せる。驚いたなあ。これから街を歩くとき、つい路上に落ちているレシートを拾ってしまいそう。

これもテレ東(BSだったか)「太川陽介のスナック歌謡界」の岩崎宏美新沼謙治の回もまとめて再放送をしたのを見る。両名とも「スタ誕」の出身者だ。岩崎はデビュー後、「芸能人水泳大会」にも出演。それ用に呼ばれた、水着からポロリとおっぱいが出る女性(お約束)を見て、「あの人、胸が出てる。誰か教えてあげて」なんて周りの人に行ったという。黄金期の歌謡界の話はおもしろい。

瀧井孝作がコメを積んで自転車で30キロを……

晦日、地下で一人で酒飲んで眠ってしまい、気がついたら新年だ。「紅白」を始め、ぎゃあぎゃあ言う騒がしい番組は、もう耳が耐えられなくなって、尾高忠明指揮、N響「第九」を聞いているうち眠ったらしい。

昨年末、怒涛の如く読了のラッシュ。『渋江袖斎』完読はもう書いた。『鷲は舞い降りた』に続き、ヒギンズ『地獄の季節』は面白かったが、やや荒唐無稽で荒っぽい話。いやそれこそヒギンズだという反論はあろう。しかし、私にはこの手の大掛かりな話は向かないらしい。小津安二郎学派の人として。

深々と読みたいと島村利正妙高の秋』を引っ張り出してきて、「妙高の秋」と「焦土」を読む。後者は太平洋戦争末期、空襲がひんぱんとなり、志賀直哉を島村の故郷・信州、伊那の高遠に疎開させる準備をする話。志賀は当時、世田谷区新町(現在「桜新町」駅周辺)にいた。物資不足で、弟子の瀧井孝作がコメを自転車に積んで、八王子から世田谷区新町まで志賀家のために運ぶ。ゆうに30キロはある距離。しかも舗装されていない道のはず。重いコメを積み、3,4時間はかかったろう。島村といい、志賀の弟子はイエス・キリスト使徒のようだ。

鉄道の話もたくさん出てくる。高尾が「浅川」、多摩湖が「与瀬」という駅名だった。伊那へ疎開の見分をする志賀に同行し、島村が中央線にのる。早朝始発の八王子始発に乗るため、八王子市子安町(駅のすぐ南)の瀧井邸に一泊。新宿発に乗るには何時間も並べねばならないという。八王子からの車窓の景色、与瀬駅時代の相模湖駅を通過するとき、志賀が里見とんの小説に与瀬が出てくると話す。主人公が自殺しようと汽車に乗り、この駅で「与瀬、与瀬(よせ、よせ)」と駅員がいうので止めてかえってきたというのだ。何というタイトルの小説か。この「焦土」に登場する鉄道話、ぜひ原武史先生に読み解いてもらいたい(ひょっとしてすでにあるか)。

読みかけのまま、ほおっておいた吉田健一『絵空ごと』も、この正月中に読了する。もう、いつまで読めるかわからぬからな。「青春18」もあと2回。ほぼ元は取っているので、1回、少し遠出して、あとは都内の移動で使ってもいいと思っている。

12月31日も1月1日もやることは、まったく変わらない岡崎武志を、今年もよろしくごひいきください。みなさまの厚情だけが頼りであります。

オカタケな日々69公開

https://www.shunyodo.co.jp/blog/2021/12/o

岡崎武志的LIFE オカタケな日々〔69〕| 春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]

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森鴎外『渋江袖斎』年内にぶじ読了。袖斎の死後、4番目の妻となった五百(いお)をクローズアップ。主人より、むしろこの大いなる女傑の印象が強く残る。これは維新から明治を生きた女性の話でもある。読み終えてよかった。

「ぶらぶら美術館」で旧三井家別邸、「百年名家」で白沙山荘をくわしくガイド。前者は下賀茂神社の入口脇にあり、後者は銀閣寺参道の近くにある。下鴨古本祭りでおなじみの場所で意識はあったが入ったことはなく、銀閣寺参道に下宿していた頃、後者の前を毎日通っていたが、どちらも入ったことはない。それらと無縁の若者だった。ともに入るためにお金がいり、それなら昼飯を食べるか古本を買うか、という生活だったのである。だからといって、後悔もしていない。

静かな年の瀬である。潮が満ちていくように、新年の訪れを待つ。

裏川越をぶらりさんぽ

26 日、埼玉探検隊隊長の岩田くんと川越を歩く。「無印」で来年のスケジュール帳と黒いシャツを買う。岩田君とはジャズ好きという共通点あり。市街のはずれ、新河岸川近くにジャズのライブ(現在中止)があるレストラン「ミルキーウェイブ」へバスで。途中、蔵造りの通りを行くが、大変な人出。悪夢のようだ。バスでスルーしてよかった。20年前、家族で正月には川越、と決めていたが、誰もいない小さな神社なんてのがあり、そこに初詣していたが、今はそんなわけにはいかないようだ。「ミルキーウェイブ」は地元民の大人気店らしく、つねに満席。駐車場はいっぱい。同じ髪型の双子みたいな2人の若い店員、接客、感じよし。ジャズはBGMで音量は小さい。オムライスランチを食すがA級のうまさ。コーヒーもおいしかった。

このあとメインの観光地を避け、東側の裏道へ裏道へ「裏川越」を、岩田くんのガイドで歴史散策。どの路地にも古民家を改修した新しい店ができている。あちこち、古い建物がまだたくさん残っている。しかし古本屋はないのだ。その点は大きな減点。雑貨店っぽい古本屋ならやれるのではないか。「博物館」へも初めて入るが(隣接する美術館は踏破済み)、これまた立派な建物と展示。速足であったが、縄文から近代までの川越史を頭に入れる。駅に向い、くねくねと裏路地を散策(「七曲り」あり)。この「七曲り」近くに以前、ジャズ喫茶があった。

東側エリアに観光客はなく、静かな散歩道。富士見櫓跡あり。ここから富士山が見えたのなり。「キンシオ」学派の我々は、案内板をいちいち読む。「へえ、おもしろいなあ」と口に出すのも「キンシオ」流。川越城を築城した太田道灌が、銅像もあり、まだあちこちで「道灌橋」「山吹」の名がつく店など、いまも生きていることを知らなかった。「歌道に暗えなあ」(落語「道灌」)

「ブ」で古本温泉に浸り、1時間だけカラオケ。ちょうど交差点で割引券つきティッシュを渡され、目のまえの店へ。2人で1時間歌って540円ほど。先日、神楽坂で新潮講座有志とカラオケへ行ったが、1人2時間2000いくらかと言われ、そこにドリンクがつくと3000円に。高い! 体調が悪いという岩田くんと別れ、早々と解散。これはこれでよし。ヒギンズ『鷲は舞い降りた』読了。映画をまた見たくなって、「ブ」でdvdを探すがない。あとはおとなしく、地味に年越しを。

御殿場で冬の富士を拝む

23日快晴。盛林堂&古ツアコンビ、蔵書整理シリーズでまた来てもらう。階段に積み上げた500冊ほど(と、小野くんは一瞥でふんだ)。お金に換えたいので、蔵書のロース部分もどしどし放出。一方でたまりにたまった文芸評論関係は一冊100円にもならぬだろうと観念し、こちらは「減らす」ための選択。タモリ関係一式や、演芸、芸能、テレビ関係もざっくり削る。奥野他見男も10数冊、ぜんぶ手放す。一時期、見かけたら買って、この戦前の軟派ユーモア作家について、何か書きたいと思って集めたが、読むとあまりにくだらないのでストップしていた。もう思い残すこともない。あと、数回、減らせば、かなりいい蔵書環境が作れそう。また、減った分、買ってしまいそうで怖いが。売上金は年越し費用となる。「どん兵衛」で年越し、は免れそう。

24日快晴。朝早く目覚めて、サッと支度をして「青春18」3回目を使い、御殿場線「御殿場」へ。八王子から相模線で茅ヶ崎経由。ユーミンの相模線だ。「相模線に揺られてきた 茅ヶ崎までの間あなただけを思っていた」(「天気雨」)。国府津御殿場線に乗り換え。これまで沼津までの完乗、山北での下車と2度体験。今回は御殿場駅に初下車。「ブ」へ寄り、駅前立ち食いソバ店で昼飯(それじゃあ、どこへ行っても同じじゃないの)。いいんです。富士山を大きく見るための2時間ほどの滞在。浅間神社近くの古い純喫茶「ベル」でコーヒー。ここはたばこが吸える。沼津から嫁いできた(雪かきなんてそれまでしたことがなかった)ママさん、感じよし。義祖父が始めた店だという。よきママさんを独占し(客はぼくひとり)あれこれしゃべる。水は浅間神社であふれかえっている富士山の伏流水を使用。うまいコーヒー440円。たばこ3本吸う。ガラス窓の向こう、制服の女子高校生が通り過ぎる。「あ、娘が帰ってきました。今日が終業式」という。相模線も多くの制服の高校生が乗り降りしていた。このあとの御殿場線も同様。「ベル」へ寄れてよかった。いい時間だった。観光なんかしなくても、ぼくにはそれで十分。

「ベル」ママに推薦してもらった(いい感じの路地とかありませんかとリクエスト)、曲がりくねった路地の酒場街を歩く(神社近くの、かつて遊郭だったっぽい)。方角がわからなくなって、途中、2度、道を聞いたが、いずれも親切に教えてくれた。路上で自動車を修理していた男性へは、駅までの道を聞いたが、3度繰り返し教えてくれて、それでも不安なのか、少し一緒に歩いてついてきてくれた。背中に大きな富士。御殿場住民、好感度高し。

御殿場駅国府津行は40分待ち。松田から厚木へ、小田急線に乗ろうと思っていた。すると、沼津行がすぐ来ることがわかり、急遽沼津へ。まだ「平松書店」が残っているはずだ。沼津は光あふれるまぶしい街。大通りを港方面へ。大手町交差点を過ぎ、二つ目を右へ。黄色い幌の「平松書店」は健在だったが、「本日定休日」の張り紙が。むなしく30分の滞在で、すごすごと帰還。帰りは湘南新宿ライナーに大船で乗り換える。いや、早い、早い。東海道線の旅は、いかに湘ライを捕まえるかがカギだ。車中、ヒギンズ『鷲は舞い降りた 完全版』を。3分の2まで読み進む。頭のなかには、マイケル・ケインドナルド・サザーランドが。