「学生村」って?

ワクチン第二回目接種完了。会場へは予約時間より10分前に着いたが、混みあうわけでもなく整然とことは運び、時間通り接種が終わり、30分待機し、会場を後に。すでに2時間以上経過したが、副反応はなし。一回目もなかった。昨夜、善行堂と電話で喋ったが、山本も2回接種して「いや、どうもないなあ」と。「どうかなってても、わかってないかもしれんなあ」ともいう。「もう、半分くらい死んでるかもしれんで、おれたち」と私。

善行堂に電話したのは、1979年ごろの話だと思うが、山本が木曽の山奥の民宿に受験勉強をしに行っていて、私も2日か3日ほど、彼が泊まる民宿へ遊びに行ったことを急に思い出し、そのことの確認であった。1960 年代ごろからか、信州一帯の農家やスキー客をあてこんだ宿舎が、格安で受験生などに部屋を貸していた。総称して「学生村」と呼ぶ。1990年にはなくなったようだ。場所を山本は「大滝村」だったというが、検索すると木曽の「王滝村」しかヒットしない。「王滝村」は北海道。うーむ、ぼくの記憶も「大滝村」であったが、どうか。

木曽福島からずいぶん長くバスに乗り、くねくねと山道を上っていく。一人だけ大きなカバンを持った若者が、駅からずっと同じバスで、同じ停留所で降りた。降りて「ひょっとして君も(学生村)」と聞くと、同じ宿舎であった。東京から来た受験生であった。食事は粗末(昼はインスタントラーメンとか)だったが、不満はなく、とにかく涼しいのと、高原を一緒に泊まった若者たちと散歩したりした。「風来坊」という詩集で、「ヤマアジサイ」という花の出てくる詩を書いたが、そのときの体験だ。帰宅してその日からスーパーのアルバイトに出たのだが、上司のHさんが「岡崎、顔色まっさおやぞ、帰れ」と言われ、じじつ発熱して数日、寝たきりであった。高山病かと思われる。今度、山本に会ったら、もう少し記憶をすりあわせたい。